添御縣坐(そうのみあがたにいます)神社

奈良市歌姫町999(平成23年1月4日)

東経135度47分55.62秒、北緯34度42分5.11秒に鎮座。

 この神社は751号線沿いに鎮座しています。社叢が豊かで、参道から境内、社殿などがとても綺麗に整備された神社ですが、私達の参拝時間が遅すぎたため、境内がとても暗くなっており、写真の出来がいまいちとなってしまい残念です。長屋王や道真の歌碑があり、彼らの波乱に満ちた生涯を思い出させてくれました。式内社・御縣社の論社ですが、同名社が三碓町にも鎮座しています。

 御祭神:速須佐之男命、櫛稲田姫命、武乳速命
 祭礼日:1月1日・元旦祭、3月11日・春の大祭、8月21日・雨喜祭、10月10日・秋祭、11月28日・秋の大祭、各月1日・月次祭
 由緒:祭神・速須佐之男命は皇祖・天照大神の弟神、櫛稲田姫命は、須佐之男命によって八岐大蛇の難をのがれ、命の妃となった姫神。武乳速命は添の御縣の地の祖神です。
 延喜式の祈年祭の祝詞によると、御縣の神は代々天皇の御膳に野菜を献上したと記されています。また祭神・櫛稲田姫の神名は「奇(く)し稲田」が原義でその神格は農の神であります。
 当神社は、大和平野中央を貫く古代の下つ道の北端に位置します。そして、大和から歌姫超えで諸国へ旅をする際に、国境に鎮座する手向けの神として尊崇されていました。万葉集に左大臣・長屋王の詠んだつぎの歌があります。
  佐保すぎて  享楽の手向けに  置く幣は
     妹を目離れず 相見しめとぞ
 この歌は、大和と山城の国境の神、添御縣坐神社を拝し、旅の安全を祈念したものと考えられます。
 当神社は、格のある式内社・御縣社の一つとしてだけではなく、農の神、旅の神として崇敬されてきました。江戸時代には、「牛頭天皇社」「八王子社」として除災・治病の神としても信仰されてきました。

【参考】大和国内「御県神社」と所在地
  葛木御縣神社・葛城市葛木68
  久米御縣神社・橿原市久米町786
  志貴御県坐神社・桜井市三輪字金屋
  添御縣坐神社・奈良市歌姫町999 添御縣坐神社・奈良市三碓3-5-8
  高市御縣神社・橿原市四条町宮坪761
  十市御縣坐神社・橿原市十市町1
  山辺御縣神社・天理市西井戸堂町339 山辺御縣神社・天理市別所町726



社頭
神社入口に立つ明神鳥居
灯籠の立ち並ぶ参道の様子
境内入口
境内の様子
拝殿前、建立年代不明の浪速狛犬
狛犬の拡大写真はこちらで
妻入りの拝殿
拝殿前から見る本殿参道と板塀・本殿
一間社春日造の本殿
覆い被さるように育った鎮守の杜
菅原道真公が宇多天皇の
吉野行幸に従った際の歌

 このたびは 幣もとりあへず 手向山
 もみじの錦 神のまにまに
万葉集に左大臣・長屋王が
旅の安全を祈念して詠んだ歌

佐保すぎて 享楽の手向けに 置く幣は
     妹を目離れず 相見しめとぞ