久米御縣神社

橿原市久米町786(平成23年1月7日)

東経135度47分34.62秒、北緯34度28分48.23秒に鎮座。

 この神社は近鉄南大阪線・橿原神宮前駅の西約260m、久米寺の南隣接の地に鎮座しています。
 入口は玉垣で囲まれた社地の中央に4段の石段が付けられ鳥居が立っています。清々しい境内の中央奥に、幕末に活躍した名石工・丹波佐吉さんの狛犬に護られて、横に長い割拝殿が建立され、その中には入れませんが、その奥に春日造りの本殿と左右の脇社が祀られています。

 御祭神:高皇産霊命、大来目命、天櫛根命
 祭礼日:10月第二日曜日
 境内社:右脇社:皇大神社(誉田別命、天児屋根命、大日霊貴尊)、左脇社:熊野神社(伊弉冉尊)
 由緒:式内社で、旧社格は村社。高皇産霊命・大来目命(天久米命)・天櫛根命を祀る。
 『五郡神社記』では「天櫛根大久米命」で一つの神名としており、『式内社調査報告』では、元は一柱の神であったものが近世に2つに分割して伝えられたものであると考えられるとしている。
 大来目命は久米部の祖神である。一帯は久米部の居住地であった来目邑であり、その祖神を祀ったものである。
 創建の由緒は不詳である。「御県神社」という神社は大和国内に7社あり、いずれも皇室の御料地である御県(みあがた)に鎮座していたものである。『日本書紀』垂仁天皇27年に「是歳、来目邑に屯倉を興す」という記述があり、創建もその頃とみられる。
 延喜式神名帳では「大和国高市郡 久米御縣神社三座」と記載され、小社に列格している。ただし、延喜式祈年祝詞には他の6つの御県神社が記載されているが、当社は含まれていない。
 久米氏の衰退とともに当社も衰微したが、隣接して久米寺が創建され、当社はその鎮守社として再建された。江戸時代中期頃からは「天満宮」「天神社」と呼ばれるようになった。現在も、「天満宮」「天神社」と書かれた燈籠が数多く残る。
 明治初年の神仏分離により久米寺から分離され、明治中期に久米御縣神社に改称した。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

【参考】大和国内「御県神社」と所在地
  葛木御縣神社・葛城市葛木68
  久米御縣神社・橿原市久米町786
  志貴御県坐神社・桜井市三輪字金屋
  添御縣坐神社・奈良市歌姫町999 添御縣坐神社・奈良市三碓3-5-8
  高市御縣神社・橿原市四条町宮坪761
  十市御縣坐神社・橿原市十市町1
  山辺御縣神社・天理市西井戸堂町339 山辺御縣神社・天理市別所町726

社頭
神社入口に立つ一の明神鳥居
境内の様子
拝殿前、安政2年生まれの狛犬
一目見て、気品のある美狛だと思いましたが、やはり関西で幕末に活躍した名石工・丹波佐吉さんの作品でした。鬣や尾どころか、爪の先まで丁寧に彫られています。思慮深い目つきでモナリザのようにほころびかけた唇に優しさと親しみやすさを感じます。
狛犬の拡大写真はこちらで
(作師・照信 安政2年(1855)乙卯11月吉祥日建立)
割拝殿
割拝殿目貫彫刻と木鼻
割拝殿内部の様子と本殿の玉垣・二の鳥居・上の境内
桧皮葺春日造両袖附、彩色を施した本殿
右脇社:皇大神社 左脇社:熊野神社