葛木御縣(かつらぎみあがた)神社

葛城市葛木68(平成23年1月7日)

東経135度43分13.42秒、北緯34度29分0.77秒に鎮座。

 この神社は新庄中学の東約80mに鎮座しています。
 参道入口に 「式内大社葛木御縣神社」の社号標が立ち、境内に入ると鳥居、社殿は90度左、東の方角に向けられて作られています。拝殿の後ろ側にはブロック塀が巡らされ、中に狛犬、二の鳥居、本殿が建立されています。

 御祭神:劔根命、天津日高日子番能瓊瓊杵命
 祭礼日:夏季大祭・7月13日、例祭・10月13日
 由緒:式内社で、旧社格は村社。大和国に6つある御縣神社(高市、葛木、十市、志貴、山辺、曾布)の1つである。
 劔根命を主祭神とし、天津日高日子番能瓊瓊杵命を配祀する。ただし、元々の祭神は天津日高日子番能瓊瓊杵命であり、劔根命は明治5年に祀られたものである。劔根命は、日本書紀に神武東征の論功行賞により葛城国造に任じられたと記される人物である。
 創立の年代は不詳である。元々は現在地より100m東に鎮座していた。延喜式神名帳に「大和国葛下郡 葛木御縣神社」と記載され、大社に列している。
 いつの時代からか境内に八王山西光寺が建立され、後に神社の方は衰えた。1601年(慶長6年)、当地の領主桑山氏は自らの産土神である尾張国海東郡の諸鍬神社を三才山(伝飯豊天皇陵)に勧請し、それに当社を合祀した。
 1864年(元治元年)、葛城御県神社を諸鍬神社より分離し旧社地に復しようとしたが、その地には西光寺があるため、その西の現在地に遷座した。
 1874年(明治6年)に村社に列格した。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

【参考】大和国内「御県神社」と所在地
  葛木御縣神社・葛城市葛木68
  久米御縣神社・橿原市久米町786
  志貴御県坐神社・桜井市三輪字金屋
  添御縣坐神社・奈良市歌姫町999 添御縣坐神社・奈良市三碓3-5-8
  高市御縣神社・橿原市四条町宮坪761
  十市御縣坐神社・橿原市十市町1
  山辺御縣神社・天理市西井戸堂町339 山辺御縣神社・天理市別所町726

社号標
式内大社葛木御縣神社」
境内入口
一の鳥居
境内の様子
拝殿
拝殿と本殿の間にいる明治34年生まれの狛犬
吽の前足には縋り付くように子狛がいて、親狛と一緒に阿の方を向いています。動物的な蹲踞の姿勢の、丸尾タイプの狛犬です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(明治34年(1901)辛丑9月建立)
拝殿と本殿の間に立つ二の鳥居
本殿
百度石 お旅所?
ご神木