諏訪大社上社本宮

諏訪市中洲宮山1 (平成17年5月1日)

東経138度7分22.25秒、北緯35度59分43.47秒に鎮座。

 中央線上諏訪駅から東南へ約6km、守屋山の山麓で中部地方唯一と言われる原生林に抱かれ鎮座しています。
 参道は東西と北にあり、東西の参道にはそれぞれ鳥居が建っています。参拝順路は、どの参道から入っても必ず東の参道入り口へ行き、布橋(屋根つきの廊下)を西へ進み、塀重門を通り過ぎ入口門を潜ってから東へ戻る様な形で進み参拝所から拝殿を臨みます。神体山・守屋山は南にあたるのですが、このままだと何故か東に向かって拝することになります。
 江戸時代までは、守屋山に向かって拝していたようですが、いかなる理由でこの様な参拝のかたちがとられるようになったのでしょうか?この社に本殿は無く、四脚門の左右・東西に宝殿があり、こちらが社の中心となっています。

 諏訪大社は全国に1万以上の分社をもつ諏訪神社の総本社で、諏訪湖の南に上社本宮・前宮、北に下社秋宮・春宮があり、この4宮を諏訪大社と称し、関係の摂末社は六十有余社を数え郡内全域に分散しています。
 上社 本宮・長野県諏訪市中洲宮山1
     前宮・長野県茅野市宮川2030
 下社 春宮・長野県諏訪郡下諏訪町大門193
     秋宮・長野県諏訪郡下諏訪町上久保5828

 御祭神:建御名方神
 祭礼日: 1月1日・蛙狩神事並御占神事、4月15日・御頭祭、御射山社祭・8月26・27・28日、
       式年造営御柱大祭・寅申相当年4月山出祭・5月里曳祭・6月上社遷座祭
 境内社:天流水社、高島神社、出早社、大国主社他
 由緒:古事記にもしるされたわが国有数の古社・由緒のある神社で、信濃国一の宮・旧官幣大社の格式を持っています。古来から、諏訪大明神・諏訪南宮大明神・諏訪南宮正一位法性大明神などと称されてきました。
 孝徳天皇8年(652)、信濃国諏訪郡南方刀美神社に勅使が遣わされて、綿100把が奉献され、持統天皇5年(691)にも勅使が遣わされました。大宝3年(703)には祈年の奉幣に預かり、承和9年(842)、信濃国諏訪郡无位勲八等南方刀美神に従五位下が授げられ、貞観9年(867)従一位、天慶3年(940)正一位に叙せられました。
 神領は、貞観7年(865)信濃国諏訪郡の水田二段が、神社田に加えられ、延暦20年(801)、諏訪郡田畠山野各1000町、稲84000束を以て、当社年中の祭祀に充てられ、大同元年(806)本国封七戸が寄せられました。
 『延喜式神名帳』に「南方刀美神社二座」とあり、名神大社に列し、祈年の班幣に預かり、また信濃国一の宮として、信濃国はもとより、全国至る所に分社が奉斎され、幅広い崇敬が寄せられています。
 御祭神、建御名方神は、建御名方富命、または南方刀美神ともいわれ、大己貴命(大国主命)の御子神にあたり、御母神は、高志沼河姫命。御兄神に事代主神がいます。八坂刀売神は、建御名方神の妃神で、御子神が一三柱あります。
 鎌倉時代以降、特に武門武将の崇敬が篤く、社領の寄進が多くあり、武田信玄・勝頼父子は、祭祀を復興、社殿の造営を行いました。
  天正10年(1582)に織田信長の兵火のため、山中に逃れた神輿の他はすべて焼失しました。この時まず仮殿が作られ順次再建され社殿は元和3年(1617)に完成しました。その後約二百年を経て諏訪藩主に依り社殿の改築が計画され、立川和四郎二代目富昌が地元の宮大工と共に事に当り、天保2年から9年(1838)迄8年の歳月を要し現在の社殿が落成し、立川流の代表的建築物とも目されています。尚旧殿の拝殿は嘉永2年(1849)に郡内富士見町乙事の諏訪神社へ移築され、桃山時代の代表的建造物として重要文化財に指定されています。
 徳川幕府は、慶安元年(1648)以降上社に1000石、下社500石の朱印を奉献、諏訪藩に於ても、社領の寄進が行われ、明治に至りました。
 明治4年(1871)、国幣中社に列せられ、同29年官幣中社、大正5年、官幣大社に列せられました。
(「神社辞典」等より) 

「諏訪大社公式サイト」はこちらで

「温泉天国・鹿児島温泉紹介! 諏訪大社上社本宮訪問記」はこちらで

「境内案内図」「社叢・文化財」案内拡大写真はこちら

写真は北参道入口から入り、案内図の順路に従って参拝し、西の参道から出る様に載せてあります。

北参道正面に立つ「諏訪大社本宮」の社標と鳥居。
この鳥居の反対側に当る交差点に神宮寺と書かれています。
又すぐ近くが神宮寺という町名になっています。
明治までは神仏混交で神社の境内に神宮寺が有ったのでしょう。

北参道入口に招魂社系の威張り狛犬が居ました。

北参道から見る境内の様子
一の御柱と塀重門

一の御柱
塀重門左手前に立っています。
二の御柱
東参道から入るとすぐ右側に立っています。
境内社:天流水社
後ろに見える勅旨門の正面が神体山となっています。
神楽殿
天流水社と勅旨門に続く石段の左右にいる銅製狛犬。

東参道に建つ銅製鳥居

東参道の手水舎

東参道を入るとすぐ左に祀られる
境内社:出早社(出早雄命・御子神で門神)
布橋と呼ばれる回廊の入り口。
境内図を見れば解りますが、北参道から入って左に曲がり、
ここで180度右に回りこんで、わざわざこの回廊から拝殿に向かいます。
布橋と呼ばれる回廊の側面と正面
本宮一之御柱木落とし用メドデコ
東西宝殿
寅年と申年毎に交互に建替がなされ遷座祭が行なわれます。
軒からはどんなに干天の日でも最低三粒は水滴が落ちるといわれ、
七不思議の一つに挙げられ、諏訪大神が水の守護神として広く崇敬される根元にもなっています。
東宝殿正面 西宝殿正面
茅葺の西宝殿側面から
塀重門
(ここから境内に入ることは出来ません。)
境内の温泉手水の獅子頭

拝殿と左右の片拝殿

拝殿背後の神居
神饌所 勅願殿
境内社:高島神社

西参道に立つ「波除け鳥居」
この先の町名が中洲となっている。かっては諏訪湖がすぐそこまで来ていたのでしょうか。入ってすぐに蓮池があり、その端に蓮池院という寺があったようです。