諏訪大社下社春宮

諏訪郡下諏訪町大門193 (平成17年4月30日)

東経138度5分6.36秒、北緯36度4分41.66秒に鎮座。

 中央線下諏訪駅から北西へ約1km、秋宮から西へ1kmの位置で旧中仙道沿に鎮座します。上社へは諏訪湖を隔て約10kmです。
 社頭から真直ぐ800m程伸びる道路はかっては春宮の専用道路で、下社の大祝金刺一族を始め多くの武士達が流鏑馬を競った馬場だったそうです。
 大神社として有名な割には、樹叢は濃いですが比較的こぢんまりとした境内で、神楽殿と拝殿、左右片拝殿及ぴ御宝殿と続く建物の配置は秋宮と同じで、拝幣殿は安永8年(1779)竣工の柴宮長左衛門の名建築で、片拝殿と共に国の重要文化財に指定されています。

 御祭神:建御名方神、八坂刀賣神 (2月1日から7月31日まで)、配祀:事代主神
 祭礼日:筒粥神事・1月15日、御田植神事・6月30日
       式年造営御柱大祭・寅申相当年4月山出祭・5月里曳祭・5月下社遷座祭
 境内社:若宮社、上諏訪社、子安社、浮島社
 由緒:この神社は全国諏訪神社の御分社、一万有余社の総本社・諏訪大社四社の内の一社です。諏訪大社は諏訪湖を挟んで南側の上社、北側に下社があり、さらに上社は本宮と前宮、下社は秋宮、春宮に分かれています。延喜式神名帳には南方刀美神社(みなみかたとみのかみのみやしろ)二座と記されていて、平安時代には早くも「信濃国一之宮」として広く知られるようになっていた我が国でも最も古い神社の一つに数えられています。関係の摂末社は六十有余社を数え郡内全域に分散しています。
 上社 本宮・長野県諏訪市中洲宮山1
     前宮・長野県茅野市宮川2030
 下社 春宮・長野県諏訪郡下諏訪町大門193
     秋宮・長野県諏訪郡下諏訪町上久保5828

 春宮の名が示すように、ここに神がおられるのは2月1日から8月1日までです。
 社殿の配置が秋宮と全く同じなのですが、これは春宮と秋宮の社殿の建替が諏訪藩に依って計画された時に、同じ絵図面が与えられたようで、大きさこそ違いますがその構造は全く同じ、春秋両社の建築は彫刻に於て技が競われているのだそうです。
 春宮の社殿は地元の宮大工柴宮(伊藤)長左衛門が請負い、秋宮より後から着工して一年早く安永9年(1780)に竣工しました。
 御宝殿は上下社共に三間四方で、方三間の神明造りと言い、下社では寅年と申年の左右の御遷座祭の他に半年毎に春宮と秋宮の遷座祭が執行されます。御宝殿奥の御神木は杉の木で、秋宮は一位の木が祀られています。

【御柱祭】
諏訪大社の大祭で正式には「式年造営御柱祭」といい、7年目ごと6年に一度、寅(とら)・申(さる)年に行われる。その起源は明らかではないが、諏訪大明神畫詞によれば、桓武天皇(御在位781〜806)の御代というから、今から1200年前になる。下社の御柱は、八島高原に近い観音沢奥の国有林から切り出す樅の大木で、曳行の途中には、100mにも及ぶ崖を落とす「木落とし」の難所があります。

国道20号・中山道の、その名も春宮大門交差点に建っている大鳥居

下馬橋
その形から太鼓橋と呼ばれ室町時代の建立。
1730年代に改修され、下社では最も古い建物です。
現在この橋を通ることができるのは一年に二度の
神行行事で神様がお乗りなった神輿だけです。

道路脇にある手水舎

神社入口 社号標

確かに前回来たときには居なかったのに・・と首をひねっていたら年号を見て納得。

(平成5年(1993)10月吉日建立)

参道の様子。
ひっそりと静かで、緑が濃く落ち着いて気持ちの安らぐ神社です。

比較的新しい神楽殿。
ここの注連縄もこんなに太いのは封印が厳しいせいでしょうか?

大隅派・柴宮長左衛門が精魂込めて造った重要文化財・幣拝殿と彫刻
幣拝殿は安永8年(1779)に完成したと考えられます。大工棟梁は高島藩に仕えた大工棟梁伊藤儀左衛門の弟である柴宮(当時は村田姓)長左衛門矩重(1747〜1800)でした。幣拝殿は間口の柱間が一間、奥行が二間で、背後の壁面に扉口を設ける二階は四方がふきはなちで、屋根は切妻造・平入の銅板葺(元は檜皮葺)で、正面は軒唐破風をつける五間で、屋根は片流れの銅板葺です。

重要文化財の左右の片拝殿

幣拝殿の建築彫刻
正面の腰羽目の波、虹梁の上の牡丹・唐獅子、唐破風内部の飛竜、
建築彫刻の名手である柴宮長左衛門の腕前がよくうかがえます。
一階内部
扉脇の竹・鶏、小壁の牡丹・唐獅子

藁葺き屋根の二棟の宝殿。2月から7月まで神様はここにいらっしゃるとか。

境内社:若宮社、上諏訪社 境内社:子安社

筒粥殿。
1月15日に神事が行われます。

ご神木・結びの杉