諏訪大社上社本宮

参拝の順路が何度も折れ曲がっているのがお解り戴けると思います。ここで神体山と書かれているのは守屋山です。

諏訪には次のような伝説が語り継がれている。

 昔、諏訪は「モレヤ(洩矢)」の神という神が治めて平和だった。そこにタケミナカタが出雲族をひきつれて侵入し、モレヤの一族を打ち負かした。その結果、諏訪はタケミナカタの支配するところとなった。この戦いの後、タケミナカタは諏訪湖を渡って対岸に上陸した。その地が諏訪神社上社だというのである。

 この伝説でモレヤの神とされているのは、もと諏訪上社の神官を務めていた守屋氏のことで、守屋氏は古代信濃の土俗神「ミシャグチ」(御社宮司)神を祀る氏族だった。ミシャグチ神は石神とも木神ともいわれ憑依託宣(ひょういたくせん)する自然神で、マタギら山人族の神でもあった。

 古くは、この神の託宣を伝えるために一年ごとに選ばれた神主(一年神主)は殺されたらしい。この神主殺害について、柳田國男は、死んだら神になるという確信が、一年神主のシャーマンとしての能力を高めたというを見方をしているが、大和岩雄は豊穣・生命の更新をもたらすために一年神主を殺す必要があったと見、一年神主そのものが、神だったという立場に立っている。

 こうした非常に古代的な自然祭祀(大和岩雄はこれを「縄文的」と表記している)を行っていた諏訪の地に、新たに持ち込まれたのが、タケミナカタ神である。本来諏訪下社の神宮だった金刺氏がタケミナカタを祀って諏訪社を支配するようになってからは、タケミナカタは諏訪上社の祭神となり、下社の祭神は、その配偶者である八坂力売神となった。

これは秋宮の巫女さんに聞いたことですが、江戸時代四社は別々の神社でしたが御祭神が建御名方神ということで、明治に官幣大社、諏訪神社となったそうです。さらに戦後国家神道の禁止と共に諏訪大社と改名したそうです。