茅野市宮川2030 (平成17年5月1日)
東経138度8分12.1秒、北緯35度59分17.21秒に鎮座。
この社は茅野駅の東約1.9km、152号線沿いに入口があります。
私達は駐車場から参拝を始めた為途中からになってしまいましたが、実際の入り口はさらに手前にありました。階段を少し登ると十間廊があり、そこを通り過ぎて登っていくと、途中には民家もあり、一度境内から出る感じになっています。周囲の景色を堪能しながら小町屋の中小路と呼ばれた往時の参道を歩いていくと、こんどはこんもりとした杜に入りますが、ここは禁足地でもあり、実に清々しい一画で、ほとんど人手が入らずに日本の森本来の姿を彷彿とさせる佇まいを見せています。
諏訪大社4社のうち、もっとも地味な存在の前宮は本宮のような喧噪が無く、最も神社らしい佇まいを見せ、心が穏やかになれる場所でした。
諏訪大社は全国に1万以上の分社をもつ諏訪神社の総本社で、諏訪湖の南に上社本宮・前宮、北に下社秋宮・春宮があり、この4宮を諏訪大社と称し、関係の摂末社は六十有余社を数え郡内全域に分散しています。
上社 本宮・長野県諏訪市中洲宮山1
前宮・長野県茅野市宮川2030
下社 春宮・長野県諏訪郡下諏訪町大門193
秋宮・長野県諏訪郡下諏訪町上久保5828
御祭神:建御名方神、八坂刀賣神
祭礼日: 1月1日・蛙狩神事並御占神事、4月15日・御頭祭、御射山社祭・8月26・27・28日、
式年造営御柱大祭・寅申相当年4月山出祭・5月里曳祭・6月上社遷座祭
境内社:摂社:内御玉殿、末社:若御子社、御室社、子安社
由緒:この地は諏訪大社大祝の始祖と伝えられる有賀が始めて大祝の職について以来、代々大祝代々の居館でした。神殿は御神体と同一視された大祝常駐の殿舎の尊称です。
この神殿のあった場所を神原(こうばら)と言い、代々の大祝職位式および旧3月酉日の大御立座神事(酉の祭)をはじめ、上社の重要な神事のほとんどが、この神原で行われました。
文明15年(1483)正月、大祝家と諏訪惣領家の内訌による争いで一時聖地が穢れたことがありましたが、清地にかえし大祝の居館として後世まで続きました。後にこの居館は他に移りましたが祭儀は引き続いて神原において行われてきました。
諏訪大社の祭政一致時代の古体の跡を示している最も由緒ある史跡です。又、境内には「水眼(すいが)」と呼ばれる清流が流れています。(長野県教育委員会、茅野市教育委員会)
建御名方神が最初に前宮に居を構えられた、諏訪信仰発祥の地と伝えられており、上社にとっては最も由緒深いところとされています。
この図を見ていると、古い時代ここが祭政の中心であった事が肯けます。
銅製大鳥居 |
平成15年5月吉日誕生の狛犬、 |
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銅製の大鳥居を潜りいよいよ往時の参道・ 小町屋の中小路へと足を踏み入れます。 |
鳥居脇に祀られる 摂社:若御子社 |
十間廊 古くは神原廊と呼ばれ中世まで諏訪祭政の行われた政庁のの場 ですべての貢物はこの廊上で大祝の実見に供されました。毎年4月15日の「酉の祭」には鹿の頭七十五がそなえられたがこれらの鹿の中には必ず耳の裂けた鹿がいることから諏訪の七不思議にかぞえられました。 上段に大祝の座、次ぎに家老・奉行・五官の座があり、下座に御頭・郷役人の座なども定められ、左手の「高神子屋」で演じられる舞いを見ながら宴をはったようです。 |
内御玉殿 諏訪明神の祖霊がやどるといわれる御神宝が安置されていた御殿です。 「諏訪明神に神体なく大祝をもって神体となす」といわれたように諸神事にあたってこの内御玉殿の扉をひらかせ弥栄の鈴をもち、真澄の鏡をかけて、馬具をたづさえて現れる大祝はまさに神格をそなえた現身の諏訪明神そのものでした。 現在の社殿は昭和7年改築、以前の社殿は天正13年(1585)造営で上社最古の建物でした。 |
小町屋の中小路から見える周囲の様子 |
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社頭 ご神木が聳える鎮守の杜の中、御柱に囲まれて拝殿が静かに佇んでいます。 参拝者は、我々の他はただ一組だけ。もっとも我々にはその方が嬉しいのですが。 |
前宮拝殿と透かし塀 |
前宮本殿 左手に清流が有り、飲ませて戴きましたがとてもまろやかな美味しい水でした。 |
小町屋の中小路から見る周囲の山々の景色…様々な緑の中で桜の淡いピンクが一際映えています。 | |
帰り道出口で信号待ちをしていたら、対面にこんな物が見えました。 |
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