霧島東神社
西諸県郡高原町蒲牟田6437(平成21年1月6日)
東経130度57分56.61秒、北緯31度53分18.06秒に鎮座。
この神社は223号線から御池の縁を回るように細い道を進んで行くと、御池キャンプ場と霧島東神社へ登る分かれ道がありますが、神社に向かう車道はとても急勾配です。その分岐点から尚も500m程進むと高千穂峰への中腹、標高500mの高台に霧島の火口湖の中で最も大きい御池を見下ろす形で鎮座しています。
社頭右脇に建つ社務所入口には「神習館 霧島山大権現東光坊錫杖院門跡」の額が掲げられ、今も霧島修験道の拠点となっているようです。
参道入口の両部鳥居を潜るとすぐ右側に境内社:水神・地神、神龍の泉社が祀られ、深い鎮守の杜の中、厳かそのものの雰囲気が感じられる石段参道を上がっていくと、参道脇には「開山性空上人」碑や祭祀場があります。ゆったりと120m程の石段を上がった右側には神門が建ち、その後も参道脇には境内社が祀られ、最上段の境内には荘厳華麗な社殿、左右脇殿が建ち、遙か眼下には深い森の中に御池の湖面が望めます。拝殿の横には高千穂峰への登山口が有りましたが、ここからだと高千穂峰頂上(標高1574m)までは約3〜3時間半、下りも2時間半もかかるそうです。
帰りは本殿脇の裏参道を下ったところ、駐車場脇には性空上人像が作られ、仏像、不動明王像の奥に「法栄殿」が残されていました。
静かで如何にも神寂びたこの神社の雰囲気は、今回の神社巡りの中では一番印象に残り、素晴らしい思い出作りが出来ました。
御祭神:伊弉諾尊、伊弉冉尊、天照皇大神、天忍穂耳尊、瓊々杵尊、他一三柱
祭礼日:11月9日、神事:旧11月13日・三十三番の神楽あり
境内社:水神・地神、神龍の泉社等七社
由緒:この社は天孫降臨せる霧島山を中心として発生した所謂霧島六社の一つで、崇神天皇の御代の創立と云う。
室町時代に至り島津氏この地を領するに及び、文明16年(1484)島津忠昌本社を崇敬し、本社と霧島岑神社を東西の両社となして本社を瀬戸尾の西北半里に遷し奉った。もと東御在所大権現とも称せられ、世々社家頭取の押領司氏を祠掌とした。累代藩主の参拝代参絶ゆることなく、社領五一○余石を寄せられ、社殿の修造等は悉く藩費を以って行はれ、明治13年霧島神宮摂社兼郷社に列し、昭和9年県社に昇格した。
(神社名鑑より)
高千穂峰の頂上にある「天の逆鉾」は霧島東神社の社宝であり、またその周りの頂上部は当社の飛び地境内です。
霧島六社権現(六所権現社)とは
霧島神宮(西御在所霧島権現 別当・華林寺)(鹿児島県霧島町)、
東霧島神社(東霧島権現 別当・勅詔院)(宮崎県都城市高崎町)
狭野神社(狭野大権現 別当・神徳院)(宮崎県高原町)
霧島東神社(東御在所霧島権現 別当・錫杖院)(宮崎県高原町)
霧島岑神社(霧島中央権現 別当・瀬多尾寺)(宮崎県小林市)
夷守神社(雛守権現 別当・宝光院) (霧島岑神社と合併の為現在は五社となっています。)
の六社のことで、これらの神社を六社権現として整備したのは十世紀、村上天皇の頃 天台法華仏教を奉じ、修験道の信仰を確立した性空上人でした。性空上人は霧島でも修行し、霧島山信仰を体系づけたといわれています。
社頭 |
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社務所入口には嘗ての別当寺・錫杖院からその法系が受け継がれているのでしょうか?
「神習館 霧島山大権現東光坊錫杖院門跡」の額が掲げられています。 |
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参道入口の両部鳥居 |
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参道入口から臨む「御池」
朝靄の立ちこめる中、仄かに見えるその姿は幽玄そのものの景色でした。 |
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鳥居を潜るとすぐ右側に鎮座する
境内社:水神・地神 入口と社号標 |
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境内社:水神・地神
拝殿と本殿 |
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境内社:神龍の泉社
社号標と社殿 |
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神龍の泉「忍穂井」 |
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石段の参道 |
参道と手水舎 |
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手水舎から左に折れた参道 |
参道脇に建つ
「開山性空上人」碑 |
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参道脇の祭祀場
「御池」遥拝所でしょうか? |
神門 |
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神門を入った後の参道の様子 |
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境内社 |
境内社 |
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境内社 |
境内入口 |
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社殿全景 |
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拝殿 |
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拝殿向拝彫刻 |
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拝殿木鼻・狛犬と象 |
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拝殿に架かる額「東霧島山」 |
拝殿内の様子 |
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本殿正面 |
本殿 |
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本殿向拝柱に彫られた見事な龍 |
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右脇殿(向かって左側) |
左脇殿(向かって右側) |
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本殿脇から臨む「御池」 |
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駐車場脇に作られた性空上人像 |
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駐車場傍に残る「法栄殿」 |
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仏像 |
不動明王像 |
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