高岡郡四万十町仕出原 (平成23年3月29日)
東経133度7分37.54秒、北緯33度13分3.06秒に鎮座。
この神社は窪川駅の北西約1.6km、四万十川西岸に鎮座しています。
四万十町を代表する神社ですが、歴史的には、天平年間(729〜749)に行基が聖武天皇の勅を奉じて福円満寺を建立し、さらに七難即滅、七福即生を祈念して、天の七星を模って宝福寺・長福寺など六寺を建立し、合わせて仁井田七福寺と称したといいます。
その後、弘法大師が弘仁年間(810〜823)に五社五仏を建立し、七福寺と合わせて仁井田十二福寺と称し、五社は仁井田五社と呼ばれて神仏習合の霊場として栄えました。
天正の兵火等で寺社共に一時衰退してしまいましたが、この地域の全ての神社を管掌下においていた岩本坊に、寺の法灯並びに別当職は遷され、継承されました。ところが、岩本坊も天正年間(1573〜1592)に焼失し、僧釈長が再興して岩本寺と改称し、以来、仁井田五社の別当寺となりました。
その後、明治の神仏分離令により仁井田五社と岩本寺は分離され、仁井田五社は高岡神社と改称されて、県社に列しました。
(「四国八十八ヶ所霊場会」参照)
秋の大祭では、神社前に沢山の店が並び、五社神社前での流鏑馬や御神輿の行列などたいそう賑やかだそうです。
御祭神:
一の宮(東大宮):大日本根子彦太邇尊(不動明王)
二の宮(今大神宮):磯城細姫尊(観世音菩薩)
三の宮(中ノ宮):大山祇尊・吉備津彦狭島尊(阿弥陀如来)
四の宮(今宮・西今宮):伊豫二名州小千尊(薬師如来)
五の宮(森ノ宮・聖宮):伊豫天狭貫尊(地蔵菩薩)
祭礼日:11月15日
境内社:兒安花神社
由緒: 平安時代初期、伊予豪族であった河野家の子孫がこの地に来住し、一帯を開発して祖神と崇敬神を祀ったのが仁井田大明神である。
以来仁井田郷68ヶ村の総鎮守神として崇敬せられ、特に戦国時代には仁井田五人衆の武運守護神ともされていた。最初は一社であったが、 天長3年弘法大師が境内に福円満寺を創立し四国霊場の札所としたとき社を五つに分け、各社に諸佛を祀り五社大明神と改称され、神佛習合の神社となった。当時、各社の神主は武家格式を有し、神社前には門前町が並んだ。
神宝として、土佐二代藩主山内忠義公奉納の金幣、西原紀伊守の刀、仁井田郷豪傑中西権七の所持したと伝えられる長刀、近くから発掘された古代の銅鉾などが納められている。
東経133度8分14.92秒、北緯33度14分50.04秒に鎮座。
この社の一の鳥居は、神社から322号線で約3.6km程四万十川沿いの川上に建立されています。鳥居傍に立つ案内板には「ここからが境内」と書かれていますから、往古如何にこの社が広大な社地を誇る大神社であったかを窺い知ることが出来ます。
五社一の鳥居
この鳥居から五社の境内に入る。昔は五社参拝の人たちが、この鳥居をくぐり、体を清め、社殿前の祓川を渡り、清浄な心身となって参拝したものである。昔の鳥居は大きな木造であった。
一の鳥居遠景 |
一の鳥居 |
鳥居に掛かる額 | 案内板 左・高岡神社3.6km、右・ヒロハチシャノキ5.3km |