高岡神社・中ノ宮

高岡郡四万十町仕出原100(平成23年3月29日)

東経133度7分36.99秒、北緯33度13分3.39秒に鎮座。

 この神社は窪川駅の北西約1.6km、四万十川西岸に鎮座しています。弘仁年間(810〜823)、弘法大師により五社五仏が建立され、仁井田五社と呼ばれて神仏習合の霊場として栄えていましたが、明治の神仏分離令により、仁井田五社は高岡神社と改称されました。

 この社はその五社の真ん中に鎮座しています。
 神仏習合の時代には、この中ノ宮が四国霊場の札所として重要な役目を担っていたようですが、現在も御朱印には「元三十七番札所奥之院、藤井山五徳智院、福円満寺ノ裔」と書かれています。
 入口に立つ鳥居を潜り参道を行くと、正面の豪華な唐破風を付けた拝殿前に、縦置きの素朴な狛犬が見えます。それだけでも嬉しいのに、拝殿縁には、やはり素朴で可愛い木製の神殿狛犬もいました。
 簡素ですが、何処か清々しい雰囲気を保つ五社の空気や佇まいに感動するだけでなく、こんなに嬉しいおまけも付き、時間の経つのも忘れ、総ての神社に嬉々として参拝させて戴きました。

 御祭神:大山祇尊・吉備津彦狭島尊
 由緒: 伊予國豪族の河野氏の子孫が一族の争いから逃れ、仁井田郷(今の窪川町)に来往し、土豪の井仁の翁と共に一帯の土地を開き、安住の地とした。
 そして、祖神を祀ったのが仁井田大明神で、仁井田郷の総鎮守の神社とした。
 天長3年(826)弘法大師が四国霊場の札所として、境内に福円満寺を創建し、五つの社に分け、一の宮に不動明王、二の宮に観世音菩薩、三の宮に阿弥陀如来、四の宮に薬師如来、五の宮に死蔵菩薩を祀り、神仏習合の五社大明神と改められた。
 江戸期に入ると、山内忠義土佐藩主は、社殿改築や金幣を奉納するなど、武運長久を祈念し崇敬神とした。
 社宝として、豪勇中西権七の所持したと伝えられる長刀や、井溝発掘中に出土した弥生期の古代銅鉾のほか、伝世品としては四国で一番古いという古瀬戸瓶子が納められている。

社頭
入口に立つ台輪鳥居
鳥居に掛かる額「高岡神社 中ノ宮」 社号標
参道、境内の様子
拝殿前にいる明治34年生まれの狛犬
縦置きで、阿吽の位置が反対です。スマートな体に首長竜のような伸びきった首を持ち、優しくにこやかな表情で、来る者を温かく迎えてくれます。鬣など毛の流れは殆ど線書きに近い表現です。この地域でこの時代にこんなに素朴な狛犬が造られていたとは…。とっても可愛くて、ほっこりとした温かい気持ちにさせてくれる狛犬でした。
狛犬の拡大写真はこちらで
(明治34年(1901)1月吉祥日建立)
豪華な唐破風付きの拝殿
拝殿縁に居る木製神殿狛犬
建立年代は不明ですが、この狛犬も素朴でとても面白い表現で造られています。やはり縦置きで、阿吽の位置が反対でした。
狛犬の拡大写真はこちらで
本殿鞘堂

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