倉敷市児島由加山2852(平成21年8月21日)
東経133度51分13.50秒、北緯34度30分07.30秒に鎮座。
この神社は倉敷市南部にあたる児島の由加山(標高・274m)に鎮座する神社で、神社庁には未加盟です。
江戸時代から「一生に一度は参詣し、お陰を戴きたい。」という庶民の信仰と観光を兼ねて親しまれた、由加山・瑜伽大権現と讃岐国・金比羅大権現(現金刀比羅宮)を詣でる両参り。特に両参りが盛んになったのは江戸時代文化文政を最盛期として明治初年頃までで、金比羅大権現は海上安全、五穀豊穰、大漁祈願、商売繁盛など様々なご利益のある神様として、瑜伽大権現は海上守護、厄除けの総本山として、全国から参拝者が詰めかけ、大変な賑わいを見せていたようです。
参拝者は金刀比羅宮(香川県琴平町)から船で田の口港へ降り、約7kmの道のりを歩いたそうで、現在は静かな漁港の佇まいを見せる田ノ口地区も、由加山の門前町の様相を呈していたそうです。田の口港からの南参道の他に、林からの北(裏)参道、日比港からの東参道、下津井港からの西参道、他に琴浦港や迫川などから上る参道もあり、山麓にはそれぞれの参道に鳥居が建立されたそうです。
御祭神:手置帆負命、彦狭知命、天之御中主神、素盞鳴命、神直日神、倉稲魂命、菅原道真公、大綿津見命 (本地仏:阿弥陀如来、薬師如来)
祭礼日:1月1日・歳旦祭、3日・元始祭、7日・昭和天皇祭遥拝 武蔵野陵、1月中・新年厄除祈願祭、2月3日・節分豆まき式、初午日・由加稲荷宮祭、11日・紀元祭、17日・祈年祭、3月3日・御鎮座奉祝祭、春分日・春季皇霊祭遥拝 皇霊殿、18日・水子合同供養祭 十禅寺、4月29日・昭和祭 献茶祭、6月30日・水無月 大祓式、7月第3日曜日・海上安全
・ 大漁祈願祭、31日・摂末社 総献饌、8月15日・終戦記念日神事 ・ 大祓詞奉唱、9月15日・敬老感謝祭、秋分日・秋季皇霊祭遥拝 皇霊殿、10月17日・神嘗祭遥拝 神宮神嘗奉祝祭、11月2日・火渡り大祭 宵宮祭 金刀比羅宮ご神火奉告祭、3日・由加山火渡り大祭、23日・新嘗祭、11月中・七五三宮詣、12月第3日曜日・すす祓い神事、23日・天長祭、由加天満宮祭、31日・除夜祭
境内社:天満宮、稲荷宮、三宝荒神、タコ神
由緒:由加山は太古より磐座信仰が行われていたとされる。天平5年(733年)行基によりこの地に十一面観音が祀られ、神社仏閣が一体となった由加大権現と呼ばれる神仏習合の山となった。北麓にある熊野神社の縁起によれば、奈良時代の初めに役行者の高弟5人が紀州熊野より熊野本宮大社を捧持してこの地に熊野神社を興し、その後、新熊野三山の一つとして由加山に那智宮を開いたとしている。
江戸時代中期より備前藩主池田氏の祈願所となり、正月・五月・九月には藩主自ら参拝していた。池田氏は当神社の社殿や、蓮台寺の客殿を造営した。
明治時代になると神仏分離令により、由加神社と蓮台寺に分離された。現在は西日本を中心に全国に末社52社を有する。
県指定重要文化財・三間社比翼入母屋造本殿
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)
「瑜伽大権現」とは
瑜伽大権現は備前国瑜伽山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神であり、阿弥陀如来・薬師如来を本地仏とする。神仏分離・廃仏毀釈が行われる以前は、瑜伽山蓮台寺で祀られた。
「此の山は無双の霊地にして、梵刹を開き、山密瑜伽の行を行い、我を瑜伽大権現として祀るべし」と夢のお告げを受けた行基が、天平5年に開山したとの伝承である。行基が阿弥陀如来・薬師如来の二尊を祀ったのが瑜伽大権現信仰の始まりと伝わる。
五流修験道の本山である五流尊瀧院の長床縁由興廃伝によれば、瑜伽山は新熊野那智山とされ、五流尊瀧院(本宮)・諸興寺(新宮)・瑜伽山蓮台寺(那智)を新熊野権現3社としていた。
厄除けの権現さまといわれ池田継政以降の岡山藩主の篤い信仰を集めた一方で、瀬戸内海随一の信仰の聖地としても、金毘羅大権現と共に一生に一度は参詣して諸願成就を祈る両まいりの大権現として信仰された。
明治元年(1868年)の神仏分離令による廃仏毀釈によって、修験道に基づく瑜伽大権現は廃された。明治6年(1873年)瑜伽山蓮台寺は廃寺は免れたものの、真言宗の由加山蓮台寺と当時の国家神道の由加神社に強制的に分離された。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)
由加神社本宮本殿
参道は南北だけでなく、日比港からの東参道。下津井港からの西参道、の他に琴浦港や迫川などから上る参道もあり、嘗ての繁栄が偲ばれます。いずれの参道にも、山麓に鳥居をもつようです。