由加神社本宮

参道入口から境内入口まで

 表参道入口は62号線沿いにあります。ここから境内までは約350m、途中の石段は「厄除石段」と呼ばれ、厄除・災難除け祈願をしたい参拝者はここを上がると叶うようです。
 鳥居の建つ入口の石段が42段、その後は緩い坂道になり、左右すぐに丸亀から寛政6年に灯籠を奉納された方がいて江戸時代の両参りの華々しさを実感できました。途中には二の鳥居が建ち、嘗ての門前町の面影が残った佇まいを見せるお店もありますが、今はごく普通のお宅が主の様で、江戸時代のような華やかさ・賑やかさは感じられませんでした。
 いよいよ神社に近づくと33段の厄除石段が出てきますが、石段中央にはお賽銭を入れる箱が置いてあり、厄除祈願の方はここにお賽銭を入れ祈願しつつ上がられるようです。私達も「家内安全」を祈りつつこの石段を上がりきると、目の前には広々とした空間が広がり、その奥に鳥居が建ち又石段が見えています。例のごとく下調べをしてこない私達には単なる明神鳥居としか見えなかったのですが、実はこの鳥居は「両神鳥居」といって、上り道から見ると「瑜伽大権現」、帰りの下り側には「金刀比羅宮」の額が掲げられた特殊な造りの鳥居なのだそうです。予備知識のない私達は帰りは蓮台寺の方から降りてしまったので裏側の額は見てきませんでした。またまた「失敗の巻〜。」でした。残念。この鳥井脇には寛政8年に「阿州藍屋中」が奉納した完成度の高い狛犬がおり、又石垣前には沢山の灯籠も奉納されています。
 さて、いよいよ「厄除石段」最後の難関「61段」を上り詰め、右に曲がると、いよいよ境内となりますが、境内入口には日本一といわれる備前焼大鳥居と、その前両側には備前藩主池田候奉納の非常に変わった備前焼狛犬が居ました。この狛犬以前は吽が子連れだったそうですが、盗難に遭い今では親のみが残されています。

表参道入口
明神鳥居
42段の厄除石段
寛政6年(1794)に奉納された灯籠
参道途中に建つ明神鳥居
旧門前町を通る参道
33段の厄除石段
表には「瑜伽大権現」、裏には「金刀比羅宮」の額が掲げられた特殊な造りの両神鳥居
由加山と讃岐国・金刀比羅宮を両方参拝するという両参りを実感する造りです。
両神鳥居脇を護る寛政8年生まれの狛犬
願主が「阿州藍屋中」ということで、ここでも四国との強い繋がりを感じます。吽には角があり、鋭い眼孔、歯並びの良い鋸歯、やや前傾姿勢で、見る物を悉く射すくめるような、威厳というか威圧的な感じがします。鬣や尾もとても装飾的で、しっかりと手間暇かけて彫られた狛犬です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(寛政8年(1796)丙辰3月23日建立)
両神鳥居脇の石垣下に奉納されている沢山の灯籠
両神鳥居
最後の難関、61段の厄除石段
境内入口にいる文政12年生まれの備前焼狛犬
備前藩主・池田候が奉納した物で、始めは吽が子連れだったそうですが、盗難に遭い、今では親のみが残されました。阿吽共に片膝を立て胡座をかいたような姿勢で、特に吽の右前脚の微妙な手つきを見ていると、どんな子狛だったのかどんどん想像が膨らんできます。江戸時代には所謂「宮獅子」オンリーだったのかと思っていましたが、こんなに変わった狛犬も造られていたのですね〜。以外でした。
狛犬の拡大写真はこちらで
(文政12年(1829)建立)
境内入口 備前焼大鳥居

境内へ