琴弾八幡宮

観音寺市八幡町1-1-1(平成21年3月30日)

東経133度39分8.3秒、北緯34度7分42.91秒に鎮座。

 この神社は財田川河口近くの右岸、21号線・八幡信号角に鎮座しています。
 この社は、琴弾山山頂(標高58m)に鎮座する神社で、明治期の神仏分離までは、この社が四国霊場六十八番の札所でした。現在は「新四国曼荼羅霊場 第二十三番」、「さぬき十五社 十四番」となっています。
 社殿まで続く階段は、378段ありますが、私達は途中の境内社に参拝したり、狛犬の撮影をしながら上って行ったので、時間はかかりましたが、さほど疲れることもなく境内に行き着くことが出来ました。
 境内からは松林を通して燧灘が垣間見え、全国から奉納された手書きの絵馬も沢山見ることが出来ます。
 隣接して琴弾公園・有明浜の銭形などの観光名所もあり、神社の参拝共々観光を兼ねて、時間をかけてゆっくり廻られることをお薦めいたします。又、さぬき十五社一つであります。

 主祭神:応神天皇、神功皇后、玉依姫命
 祭礼日:10月第3土・日曜日
 境内社:庚申神社、山之神神社、琴弾戎、忠魂社、鹿島神社、船霊神社、須賀神社、稲荷神社、宮阪天神、高良神社、松童神社、風之神社、五所神社、蔵谷神社、青丹神社、住吉神社、若宮、武内神社
 由緒:社伝では、大宝3年(703)3月、琴弾山で修行していた日証上人が八幡大菩薩の乗った船が近くに漂着したのを見つけ、里人とともに船を山頂に運び祀ったのに始まると伝えられています。そのとき、船の中から琴の音がしていたことから「琴弾」と社名が付けられました。同時に当社の神宮寺として、後に第69番札所観音寺となる神宮寺を建立しました。
 大同2年(807)、四国を行脚中の空海が当社に参拝し、琴弾八幡の本地仏である阿弥陀如来の像を描いて本尊とし、琴弾山神恵院として第68番札所に定めました。
 中世には源氏の篤い崇敬を受け、源頼義は前九年の役の前に使いを立てて願文を納め、その子の義家は社殿を造営し、神馬を奉納しました。又、義経は屋島の戦いの後に平家追討を祈願して馬と鳥居を奉納し、頼朝は1千貫文の土地を寄進しています。
 明治の神仏分離により、本地・阿弥陀如来像は観音寺境内の西金堂に移され、琴弾神社と神恵院に分離されました。
 第二次大戦後、琴弾八幡宮と復称しています。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

琴弾八幡宮拝殿

神社入口から随神門まで

随神門から境内入口まで

境内入口から社殿まで・銭形