大田区矢口1-21-23 (平成24年9月1日)
東経139度41分40.12秒、北緯35度33分45.28秒に鎮座。
【神社情報・剣貝さんより】
JR「蒲田駅」より東急多摩川線に乗り換え、二つ 目の「武蔵新田」駅より数分の所に鎮座しています。武蔵新田駅に着いたらすごい雨でした。伝説が正しければ私は足利基氏家臣の畠山一族の者なのか
?狛犬が「うなった」かどうかは確認出来ませんでした。しかたなく大田区立の図書館で「大田区の神社」を読んで(コピーして)雨が止むのを待ちました。
御祭神 新田義興
御由緒
正平13年(1358年)創祀。新田義興公は、正平13年10月10 日畠山国清等の奸計により、矢口の渡に於て討たれ憤死した。このことがあってから、矢口の渡に夜々「光り物」が表はれ、往来の人を悩ましたので、村老等が墳墓を築き、社祠を興し、新田大明神として奉斎したのが始まりである。
福内鬼外(平賀源内)作の浄瑠璃、「神霊矢口渡」の舞台となった所のようです。
【神霊矢口渡】
福内鬼外(平賀源内)作の浄瑠璃。吉田冠子,玉泉堂,吉田二一補助。1770年江戸外記(げき)座で初演。新田義興の矢口渡での戦死後,その遺子をもり立てる2忠臣と義興の弟義岑の活躍を描き,義岑に恋する傾城うてなと田舎娘お舟,お舟の父で義興を死に至らしめた頓兵衛らの悪人をからませている。
戦前、正義は南朝にあり、足利尊氏等は極悪人とされていたが、明和(1770)の頃、既に国学の影響で南朝が正統だと思われていたようです。
新編武蔵風土記稿と太平記「新田左兵衛佐義興自害事」はこちら。
新田義興公と一緒に討たれた家来を祀った十寄(とよせ)神社はこちら。
神社入口
社号標
境内
御神木の欅
拝殿と狛犬
拝殿内部
本殿
あ
うなる「狛犬」
御塚
江戸時代の道標
氷川神社の神輿庫
稲荷社
宝物殿
御朱印
歌川国芳作 『矢ノ口渡合戦にて義興戦死図』