十寄(とよせ)神社

大田区矢口2-17-28 (平成24年9月1日)

東経139度41分42.1秒、北緯35度33分34.56秒に鎮座。

【神社情報・剣貝さんより】
東急多摩川線「矢口渡」駅より西へ徒歩10分程の所に鎮座しています。参道が駐車場となっています。狛犬台座の社紋は同じ矢口の新田神社と同じです。新田氏の家紋は「大中黒・新田一つ引(おおなかぐろ ・にったひとつびき)」。

御祭神 新田義興 世良田右馬助・井彈正忠・大嶋周防守・市川五郎・土肥三左門・田波兵庫・岡新左ヱ門入道・南瀬国六郎・松田興市・宍道孫七・進藤孫六三ヱ衞門

御由緒 新編武蔵風土記稿 ・第二巻 ・十寄明神社では
新田明神より三町ばかり西にあり、義興の具せし從者の靈を祀れり、故に十騎明神といふべきを、いつの頃よりか十寄に書來れりと。又云左にあらず、昔徒寄とかきしとぞ、義興の人徒をあつめて祀りしと云義なりと。いづれもたしかなることなし、ことに「太平記」によれば、從者十三人と云ふ。その人々は世良田右馬助、井彈正忠、大嶋周防守、土肥三郎左衞門、市川五郎、由良兵庫助、同新左門入道信阿、南瀬 口六郎、その餘五人の姓名は傳はらずといふ。按に「太平記」異本に、井彈正を井伊彈正興種とあり「井伊家譜」によれば、彈正左衞門直秀と記せり。又異本「太平記」に市川五郎を五郎右衛門とし、南瀬 口六郎が氏を大瀬 口とあり、此八人の外に松田興市、宍道孫七、堺壹岐權守、進藤孫六左衞門等四人の姓名を加へ、又十三人といへるをも十二人に作れり。されは普通の本に十三人とあるは字の誤與、あるひは義興を加へて主從十三人のことなるもしるべからず。是によれば從者は十三人、或十二人なるを十騎と云も疑ふべし。此十三人の人々、義興と同く亡ひしことは已(すで)に前(新田明神社)に見えたれば畧せり。
本社二間に九尺、拝殿二間四方、前に鳥居をたて十騎明神の四字を扁せ、本社の後背に古塚あり。これ十三人の印の墳にて、そのさま新田の社の塚に似たり、是も真福寺の持、末社、日本武尊社、本社の側にあり、是も小祠。

大中黒・新田一つ引紋

参道入口

鳥居

手水石(宝暦11辛巳4月吉日)

拝殿と狛犬

子沢山な江戸流れ。拡大写真はこちら。
(昭和14年(1939)6月吉祥日建立)
拝殿軒下の江戸尾立。拡大写真はこちら。
(享和3年(1803)癸亥3月10日建立)

拝殿内部

鞘殿

本殿裏

十騎神社