伊能忠敬歩測練習の道 今昔対照
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伊能忠敬は寛政6年(1794)家督を長男景敬に譲り、江戸に出て深川黒江町に居を構え、
天文暦学を極めようとした。
時の天文暦学の大家高橋至時に師事し、さらに子午線1度の長さを調べ地球の大きさを知ろうとした。
そこで黒江町から高橋至時のいる浅草司天台に至る距離を歩測で図り、黒江町、司天台の緯度を観測して子午線の長さを推算した。
その時の記録が、世田谷伊能家に保存されている。 本図はそれをもとに鳥瞰図作家の永野達代氏が描いたものである。
この地図は、平成10年に江戸東京博物館に於いて開催された『伊能忠敬展』に展示されたもので、
現在でも約1/8300の写図(原図は1/5000)が100円で頒布されている。
この写図はなかなか好評で、図を片手に史跡見学を兼ねて忠敬の歩測のあとをたどる人が大勢いると評判である。