前回 2006-05-02
初版 1999-01-10
制作 注連縄研究会
大友正道
私(大友)の制作した
「伊能忠敬はどんな人」もご覧下さい
2007-10-25より「神社探訪・狛犬見聞録」の
初老夫が保守します。経緯等の説明はこちらで。
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注連縄に関する定義として、各辞書にも載せられている。特に百科事典等には更に詳しく解説がある。
ここには広辞苑・日本民俗事典・平凡社刊世界大百科事典と神祇辞典を紹介する。
◎ 広辞苑 第4版(岩波書店)
しめなわ{標縄・注連縄・七五三縄}(シメは占めるの意)
神前または神事の場に不浄なものの侵入を禁ずる印として張る縄。
一般には、新年に門戸に、また、神棚に張る。
左捻(よ)りを定式とし、三筋・五筋・七筋と、
順次に藁の茎を捻り放して垂れ、その間々に紙垂(かみしで)を下げる。
輪じめ(輪飾り)は、これを結んだ形である。しめ。章断(しとだち)。
{付図は省略}
◎ 平凡社 世界大百科事典
『しめなわ』
神域など神聖な場所を限って不浄悪穢の侵入を防ぐ縄。標縄、七五三縄とも書く。
記紀では〈尻久米縄しりくめなわ〉〈端出之縄しりくへなわ〉と書かれている。
《万葉集》の歌にも、一定の区域を占有・隔離する意味でシメという言葉がすでに用いられており、
〈標〉のほかに〈印〉〈縄〉などの文字が当てられている。
シメは占め〈占有〉の印であり、印之あることによって占有の状態を示したものである。
神域に張られたしめ縄は、いわば神の〈結界占地〉を標示するものとなっている。
民俗のレベルにおいても新年に村境や門口に張ったり、神社や神木、磐座などに
張るなどしめ縄の登場することは多いが、いずれの場合も場合も、なんらかの意味で内と外を区別するものである。
ふつう内側は浄域、外側は不浄域あるいは俗域と考えられている。
朝鮮のクムジュル〈禁縄きんじょう〉をはじめ東南アジア一帯にもしめ縄に類する境界標示装置が見られる。
→→ 結界 (垂水 稔)
[朝鮮] 朝鮮ではクムジュル(禁縄)、ウェンセキ(左縄)などとよばれ、
主として中部以南地方にみられる習俗で、稲作文化の文化要素として日本の例と共通する点が多い。
通常の縄とは逆に左よりになわれ、紙や帛、枝葉などがつるされる。
家庭では子どもの出産後、3週間までのサムシンハルモニ(産神婆)をまつる期間に家の大門や戸口に張りめぐらされ、
男児の場合には唐辛子や木炭、
女児の場合には紙、松葉、木炭などをつるして、
喪礼中の不浄な者の侵入を防ぎ、火と食物の持ち込み、持ち出しを禁じる。
牛馬や豚などの家畜の出産に際しても同様の儀式を行う地方もある。
このほか、家庭や村での巫儀や告祀など重要な儀礼を行う際にも張りめぐらせ、同じく呪的効果をもつ黄土をまくこともある。
村の祭りの祭場となる神木や祠の周辺、祭官の役目を行う人の家などでもしめ縄を張りめぐらされ、
やはり黄土がまかれる。 (伊藤亜人)
◎ 日本民俗事典 大塚民俗学会編 S47 弘文堂
しめなわ 注連縄
特に神聖な場所を限り他と遮断する縄。標縄とも書く。種々の形式がある。
新藁の端を少しずつ残して綯い、その数を七・五・三とするために七五三縄とも書く。
内と外を区別し、出入りを禁ずるために境界に張って神聖の表示とする。今も村境に引いて、
外から悪気が入らないようにするところがある。
群馬県赤城山の西南麓地方では村境の注連縄を「八丁じめ」といい、
その外に出る時は用心してものを言えと言った。
平常も張っておくのが普通であったが、村祭りや正月に張る所が多い。
それも後で取除くことをせず、放置しておくために、古いものは腐朽に委せた。
やがて神社の入口または屋敷の入口に張ったり、さらに本殿の前とか家の戸口に張るようになり、
今は神社でも神前に張るように、家でも神棚や床の間に張るようになった。
南伊勢から志摩地方では境内の入口、鳥居などに一年中張ってあるし、個人の宅でも、
特に神職とか祭りの当番の屋敷の入口などに年中を通して張っておく。
ことに神前とか幣物を入れた唐櫃などには注連縄を張り、個人の宅でも神棚や霊屋など多くは
一年中張ったままにしておく。
南勢地方の民家では新しく葬式を出すまでは除去せず縄の数で不幸のなかった年数が分かるという。
それも町屋では年々正月に新しく取換え立派に飾ったものとした。
ことに近畿地方では新年の注連縄に農具や産物を模したものを吊って、
農作業を祝福した。 (原田敏明)
◎ 神祇辞典(大正13年東方出版)
シメナハ(注連縄・標縄・七五三縄)
社殿の四周、又は、民家の門戸等に懸けわたして、内外を區劃する標(しるし)の縄。
もと尻久米縄(端出之縄)といひて、
藁の尻を断ち切らずして、そのまま込め置きたる縄の義なりと云ひ、
又、占有の義にして、縄を延べてある地域を我が領となすによる名なりとも云ふ。
略して「シメナワ」とも「シメ」とも云ひ一に日御綱とも云ふ。
之を飾るを注連飾と云ふ。手力男ノ神、天照大御神を天ノ石窟より引き出し奉りし時、
布刀玉ノ命、尻久米縄を以て、これより内に還り入り給ふなかれと云いし故事に基づき、
後世、神事には凡てこの注連を引渡す習ひとなれり。
注連縄には、その形によりて、
前垂れ注連・鼓の胴・大根注連・牛蒡注連・輪飾り豊年等の種類あり。
何れも新しき稲藁を左綯いに縒りて作り、これに紙垂(シデ)を挿みて垂る。
「しめの子」の数、紙垂の向方等、種々の方法を唱ふるものあれど、必しも拘泥すべきにあらず。
又、各社古来の慣行によるものもあり七五三のしめの子を
七は天神七代の形、五は地神五代 三は三貴子に象ると云ひ、七五三は併せて十五也、天道は十五にして成る也、
など言へるもあれど、神道名目類聚抄に、或説曰縄は正直の儀、端を出すは質素の體なり、、、
七五三等の数の事は、後人の附會なりと云へるを信ずべしとなす。
その懸方は、綯い始めたる方を本とし、上位(神前に向かいて右)になして懸くるを本義とす。
注連縄は神事の神聖を保つ表徴として、最、人目を引く物なるにより
神社等にありては、平素、常に新しきを懸くる注意、肝要なりとす。
{付図は省略}
しめなわを七五三縄とも書く。
〆の子の藁を七本、五本、三本と垂らす事による。
しかし、現在は見ることは少ない。
常時掲げるものより、祭礼の時に用いる注連縄に見ることがある。
注連縄の型には様々なものがある。
一般的のものは、どこの神社にも見られ、地鎮祭などで四本の竹に張り巡らす前垂れと呼ばれる注連縄である。
注連縄の型には大きく分けて、左末右本、左本右末とがある。
一般には左末右本である。
これは社殿に向かって右を上位とし、綯い始めを右にすると事による。
出雲大社ではphoto-1に見られるように一般と正反対の左本右末である。
縄の綯い方も、左綯いと右綯いがある。
左綯いと右綯いの縄を2本併せて張るところもある。
左綯いが本来とされているが、右綯いは20%程度ある。
注連縄には和紙をジグザグに折った「紙垂」(しで)を幾つか下げ、又、藁を束ねた「〆の子」を下げる。
縄の太さも前垂れの細い物から、出雲大社のように極太いのものまで、いろいろあり、
「紙垂」や「〆の子」の形にも様々なものがある。