伊能忠敬が制作した日本地図(略称・伊能図最終本)は、大図214枚、中図8枚、小図3枚からなっている。
中図8枚と小図3枚は国内に写しが伝存することを確認しているが、
大図写しは国内各地を合わせて約60枚の現存が知られているのみで、ほとんど滅失したと考えられてきた。
このほど、伊能忠敬研究会代表理事・渡辺一郎の現地探索により、米国の議会図書館地図部が多量の伊能大図写しを所蔵することがわかったので、
日本国際地図学会、伊能忠敬研究会、(財)日本地図センターの3者で共同して調査をおこない、伊能大図写し207枚の所在を確認した。
調査期間 2001年6月18日〜6月22日
調査員 渡辺一郎(日本国際地図学会会員・伊能忠敬研究会代表理事)
鈴木純子(日本国際地図学会常任委員・相模女子大学講師)
永井信夫(日本国際地図学会・(財)日本地図センター理事)
今回発見された伊能大図写しは、伊能図の最も精細な部分である大図の内容を、ほぼ全面的に示すもので、
近代測量の始祖である伊能忠敬の事績と伊能測量の全容解明に大きく寄与するものと考えられる。
全大図214枚の内今回発見されたものは207枚で、欠図は7枚である。
図には第七軍管、第一軍管、第三軍管と朱書の肩書きがあり、また、全図の測線部分に各種サイズの鉛筆方眼が残っている事などから、
明治初年の陸軍測量機関が実用のために模写したものと推測される。また、他の収集品の中には本図を使った編集図も見られた。
米国に流出の経緯については不明である。米国議会図書館の地図部長エベール博士は「本図の入庫記録はなく、
地図部ができた1897年には既にあったと推測される(それ以後のものは入庫記録があるので)」と語っている。
「戦後の混乱期の入庫でないことは確かで、もし戦後であれば必ず入庫記録が残っている」ともいう。
本図発見の効果
(1) 伊能忠敬の業績である伊能図の全貌がほぼ明らかになった。
(2) 測量経路など忠敬の足跡を確定することができる。
(3) 伊能大図と測量日記を対照することにより、忠敬の行動が理解しやすくなる。
(4) 結果として、全国各地において忠敬に関する身近な事績調査が容易となる。
(注) 新聞では206枚を発見と報じたが、その後の調査で207枚であることが判ったので訂正する。
1月1日より大図58枚の写真を下記資料室HPで一挙公開する。
伊能忠敬研究会資料室へ
トップに戻る
伊能忠敬研究会資料室
伊能忠敬の略年譜
伊能忠敬関係リンク集
入会案内へ