八幡神社

多久市多久町1758-5(平成23年11月2日)

東経130度5分35.67秒、北緯33度15分17.32秒に鎮座。

 この神社は西渓公園の東、西渓中学校の南約140mに鎮座しています。道路を挟んで西には多久神社が鎮座し、公園と二つの神社の雄大な緑の空間は、心静かに時を過ごせる、癒しの地のように見えました。
 入口には「若宮八幡」の額が掛かる肥前鳥居が立ち、赤い灯籠の建ち並ぶ参道の右には土俵が配されています。その奥には有名な市天然記念物・推定樹齢700年のご神木・三本杉が聳え、その根元に手を触れると、和まされながらも木々の雄大なパワーが貰えたような気がしました。
 境内に上がるとすぐ前は肥前狛犬に護られた拝殿、奥の赤い塀内には三間社流造の県重要文化財・本殿が建立されています。
 又、境内左右には稲荷社、興玉社等を含む末社が点在しています。
 上多久の宗社で、昔は若宮八幡宮と呼ばれていた古社ですが、周囲の景観と共に神社の佇まいも素晴らしい、お奨めの神社です。

 御祭神:応神天皇、仁徳天皇、神功皇后、比売大神
 祭礼日:1月1日・歳旦祭、2月11日・建国祭、4月21日・春季例祭、10月19日・秋季例大祭(御御幸・浦安舞・稚児行列・奉納相撲)、11月23日・神穀感謝祭
 境内社:金比羅社(崇徳天皇)、興玉社(猿田彦神)、産霊社(天御中主尊)、稲荷社等多数
 由緒:旧名・若宮八幡宮。上多久宗社、旧郷社。
 建久4年(1193)、多久太郎宗直の勧請なり。初め、宗直摂津国難波多久に住し、後、鎌倉に移住し、右大将源頼朝公に仕え、鎌倉八幡宮を崇敬し、暫々武功あり。頼朝公、深く感賞せられ、日本国中に於いて、多久と云う所残らず受領せしむる旨、御教書を賜り、当国多久の庄に下向ありて、直ちに当社勧請相成り、以後、上多久宗社として、特別に崇敬有りしと云う。
 後奈良天皇の朝、天文年中(1532〜54)太宰少弐資元梶峯城に在る頃、当社を崇敬して再興せり。但し、資元の墳墓は、社地を距ること北500mの道路側の専称寺にあり。
 元亀元年(1570)、多久領主竜造寺和泉守長信、上多久・梶峯城に入城後、同3年(1572)に再々興ありしより、明治3年に至るまで造営・修理・~器・建築等悉く多久家より寄進せられた。
 以来、風雨多年大破に属せしを以て、大正11年改築せり。…中略…。又、当社は従来村社なりしも大正11年郷社に昇格せり。
 …中略…。
 尚、昭和33年1月、神殿が鎌倉時代の遺構を残す建築物として、県の重要文化財として指定を受けた。…後略…。



社頭
入口に立つ肥前鳥居 鳥居に掛かる額「若宮八幡」
参道の様子
参道右側に作られた土俵

市天然記念物・推定樹齢700年のご神木・三本杉
石段参道と境内入口
境内の様子
拝殿前、やや大型の肥前狛犬
双方共に横に大きく切り込まれた口を持っていますが、左には薄く歯の跡のような彫りがあり、右を阿、左を吽と考えるのが妥当と思われます。四角い顔をして目を浮き立たせ、目立った鼻に三角の穴が付けられています。鬣は上方は三角や円に近い短い渦、下方は垂らしたクレオパトラカットで、肥前としては複雑な作りとなっています。尾は三本に分かれ、前足と後ろ足はお腹の下で刳り抜かれては居ますが、先端部分で僅かに付けられています。又、前肢には関節を示す節が付けられています。美的にも優れた作品と思われます。
狛犬の拡大写真はこちらで
拝殿 正面と側面から

県重要文化財・本殿
社殿右側の境内社等
興玉社 境内社
石祠 円柱の塔
砲弾
境内右側の境内社
地神 四明
中央 中央
天満宮 金毘羅大権現
蚕霊
稲荷神社
末社群
妙見大神 帝釈天王
七面大明神 琴平宮
秋葉社
鎮守の杜の様子
本来ならば、この社には拝殿前の肥前狛犬の他に、下記の二対の肥前狛犬がいるのですが、只今、多久市郷土資料館にて「多久の肥前狛犬展」開催中につき、出張中でした。
「多久の肥前狛犬展」はこちら
何時もは拝殿内にいる肥前狛犬
何時もは社務所神前にいる肥前狛犬