多久神社

多久市多久町西ノ原1970(平成23年11月2日)

東経130度5分31.89秒、北緯33度15分15.17秒に鎮座。

 この神社は西渓公園の東に鎮座しています。公園と隣接した社地は緑豊かで、心静かに時を過ごせる、癒しの地のように見えました。
 その森の一角に社号標と鳥居が建立され、参道を歩き二の鳥居を潜り、また少し行くと突き当たりから参道は右に曲がり、境内の正面が見えてきます。神池から流れ出る小川に架かる神橋を渡り、三の両部鳥居を潜ると石段左右に樹齢150年のご神木・モミノキが、スックと天まで伸びんとするように聳えています。
 境内に入ると右に手水舎と神楽殿、左に多久茂族碑が配され、正面すぐに素晴らしい彫りの岩狛さんが護る拝殿、本殿 が建立されています。
 龍造寺変じて多久姓に改めた旧藩主を御祭神とする神社ですが、この神社の様子を見ると、きっと善政を敷いていた領主さんなのでしょう、とても大切にされているのが分かる、手入れの行き届いた神社でした。

 御祭神:龍造寺家兼、龍造寺長信、多久安順、多久茂族、多久茂文
 祭礼日:4月22日、10月19日
 境内社:八坂神社
 由緒:元亀元年(1570)龍造寺長信は梶峯城に入城。嫡子安順から、多久姓に改めて、その子孫は明治初年まで多久を領有しました。
 弘化元年(1844)十一代領主茂族は、長信の居住した通称天理様御屋敷と呼ばれるこの地に、先祖への報恩と子孫の繁栄を願い、始祖龍造寺家兼と長信、多久安順を祭神として、梶峯神社を創建し、宗廟としました。明治178年に茂族、大正5年に四代茂文を合祀。
 昭和26年、西南の役以後の戦没者を加えて、多久神社と改めました。
…後略…。

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社頭
社号標と参道入口
参道入口に立つ一の肥前鳥居
参道の様子
参道に立つ二の台輪鳥居
参道の様子
境内は突き当たり右に有ります。
境内正面
神橋
境内入口手前に立つ三の両部鳥居
参道左に有る神池
境内へと続く石段参道
境内入口
境内右に設えられた手水舎
拝殿前、建立年代不明の岩狛さん
獰猛そうな怖い顔をして境内中を見回している恐竜型の岩狛さんです。岩に彫られた牡丹の花、鬣や尾の曲線の滑らかさと派手さ、体中の筋肉等々、目を引きつけられる素晴らしい彫りに、石工さんの技量の程が分かり、体中から発散しているエネルギーをビンビンと感じます。素晴らしい狛犬です。
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拝殿
拝殿内の様子
本殿
神楽殿? 御神庫
多久茂族碑
八坂神社
境内手前左に聳える樹齢150年のご神木・モミノキ
境内手前右に聳える樹齢150年のご神木・モミノキ
境内右に聳える樹齢150年のご神木・モミノキ