天山神社

小城市小城町岩蔵2348(平成23年11月3日)

東経130度11分38.96秒、北緯33度18分26.5秒に鎮座。

 この神社は霊峰・天山(標高1046m)の南東麓に鎮座する「天山神社」の下宮です。すぐ南にある平安初期創建の雲海山岩蔵寺との神仏習合が、古くから行われていたとみられています。
 参道の入口は290号線脇にあり、平成13年にダンプトラックに接触され倒壊してしまった、小城藩主鍋島直能が寛文5年(1665)に建立した一の肥前鳥居は、様式、銘文とも忠実に再現されていました。一の肥前鳥居を潜るとすぐにご神木・大楠が聳え、道路を挟んで境内入口には神橋が架かっています。参道左右に広がる神池には古色蒼然たる石橋が架かり、その奥に慶長17年(1612)佐賀藩祖鍋島直茂、初代勝茂、小城藩初代元茂、神代家良によって寄進された二の肥前鳥居が建立されています。
 石段を上がり中の境内に入ると、正面石垣上の上の境内に、文久2年生まれの岩狛が護る唐破風付き入母屋造りの拝殿と三間社流造の本殿が建立され、その左に忠霊殿が祀られています。下の境内や中の境内には沢山の石祠や石碑が置かれ、特に天照皇太神宮前には一体だけの美形肥前狛犬が居ます。
 大宝2年(702)、文武天皇の勅願所として建立されたという古社ですが、現在も沢山の人に崇敬されているのでしょう、とても綺麗に維持管理されている気持ちの良い素敵な神社でした。

 御祭神:多紀都昆賣命、市寸島昆賣命、多紀理昆賣命
 祭礼日:5日1日・春季大祭(御田祭)、10月15日・秋季大祭(現荏は、15日に近い日曜に行う場合もある。)
 境内社:天照皇太神宮、七面天王、安国神社、忠霊殿
 由緒:天山神社由緒と沿革
一.祭神 多紀都昆賣命、市寸島昆賣命、多紀理昆賣命
一.由緒と沿革(1991年記)
 当社は、文武天皇大宝2年(702年)国宜によって建立せるもので、文武、一條、二條天皇勅願所であって天正18年(1590年)佐賀藩主鍋島直茂社殿を再建、寛永15年社頭破壊につき、勝茂、元茂、直澄、其他、多久、武雄、諌早等の領主協力して修復す。元録11年直能萱葺を瓦葺となし、遷宮の式典を行う。一の鳥居は、寛文5年直能、二の鳥居は、慶長17年直茂、勝茂、元茂の寄進である。
 天正年中から、小城郡七郷納所より毎年9月15日に二注連に分ち、大行司、小行司を立て、隔年に片注連づつ勤めたが、寛永15年島原陣の砌鍋島家から国家安全の誓願にて両注連元一同石木刈から行列を立て、参詣す。維新後其の事は止んだ。明治6年郷社に列し、明治40年2月神饌幣帛料供進指定神社となる。

 岩蔵天山神社
 天山神社は、天山近くに上宮を、下宮を晴気・岩蔵及び唐津市厳木町広瀬の三社を祀る。
 勧請記によると大宝2年(702)九郎安平が文武天皇の口宣を蒙り、建立した。
 祭神は多紀理姫命・市寸島姫命、多紀都姫命である。
 天正18年(1590)に鍋島直茂により社殿を再建されている。天山神社には二つの鳥居がある。一の鳥居は小城藩二代藩主鍋島直能が寛文5年(1665)に建立・寄進したものである。現在のものは再建されたものである。
 二の鳥居は慶長17年(1612)佐賀藩祖鍋島直茂、初代勝茂、小城藩初代元茂、神代家良によって寄進されたものである。小城藩の祈願所として崇敬された。
 元録11年(1698)には鍋島直能は萱葺を瓦葺として遷宮の式典を行った。
 天山神社の祭礼は毎年5日1日の御田祭、10月15日の祭礼(供日)が知られる。10月15日の祭礼は天正年間以来、小城郡七郷と多久納所で大行司、小行司に分かれ隔年に注連元を務めてきたが、寛永14・15年(1637〜8)の島原の乱のとき小城藩家老持永助左衛門は天山神社に戦勝祈願をし、祈願成就のため小城郡七郷と納所を二つ分け両注連元石木刈より行列をしたてて参詣したことが例となったという。岩蔵六ヶ村は注連元から除いて、前日の10月14日夜に浮立・狂言を興行するのを例とした。現在は10月15日に近い日曜日を祭日とする。



290号線脇にある参道入口と駐車場
再建された一の肥前鳥居
社頭
ご神木・大楠
一の神橋
入口から見る下の境内の様子
参道左右に広がる神池
神池中央に架かる二の神橋
参道の様子
慶長17年(1612)佐賀藩祖鍋島直茂、初代勝茂、
小城藩初代元茂、神代家良によって寄進された二の肥前鳥居
二の鳥居に掛かる額
「天山宮」
石段参道と中の境内入口
中の境内の様子と上の境内入口
拝殿前、文久2年生まれの岩狛さん
秀でた額と尖った顔は厳めしく、三角形に伸びる鬣、寸胴で滑らかな身体や細く曲がった前脚、背中から立っている尾のギザギザは恐竜を思い起こさせます。岩狛の中でも特異な存在なのではないでしょうか?
狛犬の拡大写真はこちらで
(文久2年(1862)壬戌3月吉日建立)
横に広く大きく開放的な唐破風付き入母屋造りの拝殿
三間社流造の本殿
忠霊殿と碑
七面天王 天照皇太神宮
天照皇太神宮を護る一体だけの肥前狛犬
風化が激しく顔の表情はよく分かりませんが、残っている鬣の様子や体側の肋骨、尾の表現等から、比較的後期に作成された、均整のとれた素晴らしい狛犬だったのではないかと想像できます。
狛犬の拡大写真はこちらで
石祠 安国神社
石祠 末社
1260年祭改築記念碑 天山神社1200年祭祈念碑
日露戦役記念碑