天山神社

唐津市厳木町広瀬 (平成29年4月4日)

東経130度05分21.73秒、北緯33度18分56.01秒に鎮座。

この神社は、JR唐津線・厳木(きゅうらぎ)駅の東2.5km程の辺り、広瀬の街外れに鎮座しております。

御祭神 天御中主命・倉稲魂命・端津島姫命・市杵島姫命・田心姫命

沿革
「抑々41代持統天皇(645〜703)の御代異国人鎮西対馬に来舶して、将に異国の風俗を広めんとす。因って茲に参議藤原安弘勅命を蒙りて之を退治す。時に天皇其の功を賞して晴気の里を賜ふ。民人安弘の徳を慕ひて集り来りて天山の下に住む。是に於いて天御中主命を天山の頂上に祀りて庶民擁護と為し、五穀豊穣を祈れり。年ありて然る後、文武天皇の大宝元(701)辛丑歳11月15日、白雲天山を覆ひ、散じて本山・広瀬・岩蔵の上に至り留る。是に由りて安弘、又天御中主命を此の三地に勧請して以て天山大明神と言へり。其の頂に在るを上の宮と号し、其の下の在るを下の宮と号す」原文の通り。
即ち当天山神社は現在上・中・下宮よりなり、天山頂上に近い池の辺に享保5年(1720)に奉建された。
石祠の上宮があり、小城町川内分校附近に巨石を神体とする中宮があり、更に小城町晴気岩蔵と厳木町広瀬の三ヶ所に下宮がある。
室町末期獅子ヶ城主鶴田越前守前は、当社を祈願所として尊敬し、社殿の修復造営は勿論、社領も寄進していたが藩政時代に入り元和2年(1616)寺沢氏の検地によりすべて没収された。
境内由緒書き より。

境内の北北西250m程、道路際に立つ一の鳥居。

二の鳥居

三の鳥居

四の鳥居

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。
(昭和3年(1928)4月吉日建立)

拝殿内部

天井絵

本殿


御神木