天山社

小城市小城町晴気3258 (平成29年4月4日)

東経130度09分48.55秒、北緯33度18分35.42秒に鎮座。

この神社は、JR唐津線・小城駅の北西5km程の辺り、街並みを外れた山沿いに鎮座しております。

御祭神 多紀理毘売命・狭依理比売命・多岐都

由緒
参議藤原安弘は文武天皇の命により、大宝2年(702)10月15日天山池の中に島を築き、蓬莱島と名付け、上に祠を建立して天山神の上宮と定め、下宮を靈貴山(一名烏帽子嶽という)に建立しました。
長保4年(1002)藤原康家が烏帽子嶽の下宮を現在地にうつし諸祭記を再興しました。当所小城郡神祇管領および永代神領300町を寄進したといわれます。
鎌倉時代となり千葉氏が小城郡地頭となると大いに崇敬し、その発願によって夏越祭を行いかつ、社殿の修理をしました。
ついで江戸時代には佐賀鍋島藩の支配下となり初代藩主鍋島勝茂は神殿を改築しました。以後佐賀四代藩主鍋島吉茂、佐賀八代藩主治茂、佐賀十代藩主斉正、小城十代藩主直亮らは、神殿の修理、神門の奉献等を行いました。10月15日の供日祭には、浮立または天衝舞が行われますが、以前は大名行列を模した「締元の行事」が行われていました。
境内由緒書き より。

天山の麓に天山神社は三社あり、小城市小城町岩蔵唐津市厳木町広瀬に鎮座しております。

境内より南南東3km程、国道203号に立つ一の鳥居。

神額

参道入口

二の鳥居

神馬

参道

神門

拝殿

拝殿前の岩乗り狛犬。拡大写真はこちら。
(慶應元年(1865)乙丑6月吉祥日建立)

拝殿内部

本殿


石祠
神像

御神木