稲佐神社

杵島郡白石町辺田2925(平成23年8月7日)

東経130度06分11.15秒、北緯33度09分35.21秒に鎮座。

 この神社は214号線・稲佐神社入口信号から西に入ると約120m程に参道入口があり、神社は霊峰・稲佐山の中腹に鎮座しています。
 参道入口には一の鳥居が建立され、神橋を渡るとごつごつとした石畳が敷かれた坂道の参道が凡そ300m程続きます。その間県内最古を誇る肥前鳥居や、嘗ての「稲佐山泰平寺」十六坊の面影を残す三坊が参道左右に残され、往時を偲ぶ縁となっています。
 石畳を上りきった馬場に立つ4の鳥居を潜ると境内へと登る最後の石段があり、右手には享保6年(1721)建立の鐘楼や推定樹齢・600年以上で県天然記念物のご神木・大楠が見られます。石段を上がりきると享保9年(1724)建立の豪壮な神門が建立されており、この奥が境内となっています。
 境内は横に広々とした感じに出来ており、正面に文化2年生まれの狛犬が護る大きく豪壮な拝殿、素晴らしい彫刻が施された本殿が建立され、その左右に境内社が祀られています。又、社務所脇にはもう一本の県天然記念物のご神木・大楠が、天に向かって真っ直ぐに伸び、美しく、又、旺盛な樹勢を見せています。
 御祭神が植樹の神だから…と言うこともないのでしょうが、県天然記念物のご神木・大楠を始めとして推定樹齢300年を越す多くの楠が繁り、又、古からの神仏習合の聖域の面影が色濃く残された参道、鐘楼など、白石平野一帯の鎮守として崇敬されてきた歴史が垣間見える、素晴らしい佇まいの神社でした。

 御祭神:五十猛命、大屋津姫命、天神、女神、聖王神、阿佐神
 祭礼日:祈年祭・2月28日、かけ参り・二百十日 - 二百二十日頃、秋季例祭・10月19日、新穀感謝祭・12月 3日、お火焚き・12月26日
 境内社:御嶽神社、八幡神社、天満神社、稲荷神社、忠霊神社
 由緒:創祀年代は不詳であるが、社伝によると天地開闢の頃に五十猛命を祀ったという。飛鳥時代に百済より阿佐王子が来朝し、この地に留まり居を定め、稲佐大神とともに両親を合祀した。阿佐王子が亡くなった後、阿佐王子も合祀された。平安時代に入り、空海により稲佐泰平寺が開かれ、その鎮守神として稲佐大明神が位置づけられ、真言寺十六坊と呼ばれる一大霊所となった。貞観3年(861年)8月24日、従五位下の神階を賜り、仁和元年(885年)2月10日に従五位上に昇った(『三代実録』)。その後、幾多の盛衰を繰り返したが、龍造寺氏や鍋島氏の保護を受け発展した。現在の本殿は、享保6年(1721年)に再建されたものである。旧県社。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

猿田彦大神 参道入口
ここから神社までは凡そ300m程、石畳の坂道を上がっていきます。
参道入口に立つ一の肥前鳥居 鳥居に掛かる額
「正一位稲佐神社」
神橋と参道の様子
二の鳥居 鳥居に掛かる額
「稲佐大明神」
参道の様子
町重要文化財・三の肥前鳥居
この鳥居は天正13年(1585年)の建立で県内最古を誇っている。
もとは参道の登り口にあったが、昭和20年代後半に現在地に移建された。

稲佐神社と泰平寺

 稲佐神社は平安時代初期にはすでに祀られていました。『日本三大実録』の貞観3(861)年8月24日の条に、「肥前国正六位上稲佐神・堤雄神・丹生神ならびに従五位下を授く」とあり、これが稲佐神社が正史に現われた最初の記録です。また、社記には「天神、女神、五十猛命をまつり、百済の聖明王とその子、阿佐太子を合祀す」と記されています。
 平安時代になり、神仏習合(日本古来の「神」と外来の「仏」が融合)の思想が広まると、稲佐大明神をまつる稲佐神社の参道両側に真言寺十六坊が建立され、この一帯を「稲佐山泰平寺」と呼ぶようになりました。
 この泰平寺を開いたのは弘法大師(空海)であると伝えられていて、今も弘法大師の着岸した地点が「八艘帆崎」(現辺田)としてその名をとどめています。また、「真言寺十六坊」は、この地方の大小の神社の宮司の立場にあったと言われています。
『肥前古跡縁起』(江戸期)の稲佐太(泰)平寺の項に「流鏑馬祓様々にして神慮を冷め奉る…」とあるように、鎌倉時代には、武芸をともなう祭礼が盛んに行われるようになりました。今も毎年10月19日の供日には「流鏑馬(うまかけ)」が行われています。秋の祭りの楽しみのひとつです。
 現在では、稲佐神社と十六坊のうち、座主坊・観音院・玉泉坊の三つを残す以外はなくなってしまいました。自然石が丁寧に積まれた参道は往事の面影をしのばせてくれます。また、稲佐神社山門から望む有明海の眺望はすばらしいものです。
(「白石町役場公式サイト」より)
趣がある自然石の参道は馬場のある4の鳥居まで凡そ300m弱。嘗ては「稲佐山泰平寺」十六坊が建立され、賑わいを見せていた参道ですが、現在は座主坊・観音院・玉泉坊の三坊を残すのみ。往事の面影を偲びながら石畳を歩いているのは私達だけ…という、『素晴らしい景観を独り占め』状態の参道歩きでした。
馬場の前面に立つ4の肥前鳥居
神社入り口の石段参道

石段参道右側に残る享保6年(1721)建立の鐘楼

享保9年(1724)8月建立の神門 表と裏から
境内の様子
参道の様子
拝殿前、文化2年生まれの狛犬
やや上向き加減で端正な顔つき、スリムでやや胴長な身体に派手な鬣と尾が付いています。阿吽共に鋭いノコギリ歯が生え、阿は特に大きな口を開けています。太い指先の爪にまで神経を行き届かせた、とても出来の良い狛犬です。白石町馬洗・妻山神社と、地域は異なりますが、鳥栖市・日子神社に良く似た狛犬が存在します。
狛犬の拡大写真はこちらで
(文化2年(1805)乙丑3月吉日建立)
大きく豪壮な拝殿
素晴らしい彫刻が施された本殿
本殿向拝下彫刻・鳳凰
本殿向拝下を支える力士?さん
本殿木鼻・象と獏
神饌殿
境内社・天満宮
境内社・忠霊神社
境内社
県天然記念物のご神木・大楠
推定樹齢・600年以上、根回り・26m、目通り幹回り・10m、樹高・17m、枝張り・19m
県天然記念物 県内で最も樹高の高いご神木・大楠
推定樹齢・600年以上、根回り・19.2m、目通り幹回り・10.5m、枝張り・18.9m、樹高・26.5m