櫛田宮

神埼市神埼町神埼419-1(平成23年8月4日)

東経130度22分29.68秒、北緯33度18分24.46秒に鎮座。

 この神社は神埼市役所すぐ南に鎮座しています。
 入口は旧長崎街道に面しており、社号標「懸社櫛田之宮」や順徳天皇御宸筆の文字と伝わる額が掛かる一の鳥居と共に、「長崎街道 神埼宿」碑が立っています。鳥居を潜り参道を進むと、狛犬、県重要文化財・二の肥前鳥居やご神木・琴の楠が見られ、蔦が絡まりとても良い雰囲気の石造太鼓橋の神橋からは、琴の池の涼やかな水面や厳島神社が見渡せます。
 未だ新しくとても綺麗な随神さんがいらっしゃる門を潜ると境内で、広々とした境内中央奥に唐破風付き入母屋造りの大きな拝殿、透かし塀内に権現造の本殿が建立されています。
 境内手前右には土俵や能舞台が配され、拝殿右には振氣館、本来その右に祀られていた祇園社は不慮の火災で全焼し、もうすぐ再建されるようです。社殿奥の鎮守の杜内には宗像社や天満宮と共に、大楠、オロチの酒甕、「神埼発祥の地 櫛山」という櫛田大神を最初にお祀りになった霊域があり、自ずと神聖な気持ちになれる聖域があります。
 境内左奥には境内社・櫛森稲荷神社、櫛丸稲荷神社が祀られ、朱の稲荷鳥居が二社へと誘ってくれています。
 肥前國神埼御荘総鎮守だったようですが、現在も神埼市を代表する神社なのでしょう、とても綺麗に整備された神社で、社殿背後の森の中に入ると自然と神聖な気持ちになるのが不思議な心持ちがしました。

 この社と南北各1里へだてて鎮座する高志神社(千代田町、田中豊宮司)・白角折神社(旧仁比山村朝日)とは三所一体の神社で、祇園山笠が有名な博多櫛田神社は、この社の分霊を勧請したのが始まりのようです。

 御祭神:櫛田三柱大神(櫛稲田姫命・正面御座、櫛田大明神、須佐之男命・東 御座、 高志大明神、日本武命・西 御座、 白角折大明神)
 祭礼日:1月1日・歳旦祭、1月15日・お火たき神事(古守札焼)、2月節分の日・厄除節分祭、2月初午・櫛森稲荷神社・櫛丸稲荷神社初午祭、2月25日・祈年祭、4月7日・8日・春祭(みゆき大祭は隔年4月第一土・日曜日に斎行)、7月15日・祇園社祇園祭、7月15日・夏越大祓神事、7月29・30日 祇園祭、10月7・8日・秋祭、11月15日・七五三祭、11月29日・新嘗祭、毎月1日は月首祭、15日は月次祭
 境内社: 櫛森稲荷神社、櫛丸稲荷神社、祇園社、弁財天・厳島神社、天満宮、宗像社
 由緒:大昔当地方に荒神があって人を害したが、景行天皇が櫛田宮を創建されてから人民は幸福になったので神幸郡と名づけた。
 今から1900年前のことである。鎌倉時代弘安4年(1281)蒙古襲来の時、本宮の神剣を博多串田神社に奉遷して異賊退散を祈り、霊験あらたかなものがあったので厄よけ開運の神と崇敬されるようになった。
 櫛田大明神縁起に、万民を利益しましますこと凡智の測量する所にあらずと記してある。
 朝廷武将歴代藩主をはじめ一般の敬信あつい九州大社と称せられ神領も多かった。
 境内にオロチ退治の酒甕、琴の楠、琴の池、順徳天皇勅額、石鳥居、櫛森櫛丸稲荷神社、祇園社、弁財天社、庚申石祠、忠魂碑、昭和天皇碑、そうめん碑等がある。隔年の春祭はみゆきと称し御神幸があって賑わう。

「櫛田宮公式サイト」はこちら



社頭
神社入り口
順徳天皇御宸筆の文字と伝わる額が掛かる一の鳥居
社号標「懸社櫛田之宮」 「長崎街道 神埼宿」碑
参道の様子
参道脇にいる明治39年生まれの岩狛さん
牡丹の咲く低い岩に前足をかけ、随分と寝そべった感じの胴長狛犬です。思索的な目をしていますが、顔から突き出た丸い鼻に愛嬌を感じます。長〜い垂れ耳で、鬣や尾の筋目がはっきりと表現され、獅子紋も良く残っています。
狛犬の拡大写真はこちらで
(明治39年(1906)3月建立)
県重要文化財・二の肥前鳥居
 慶長7年(1602)の造立銘がある佐賀県指定重要文化財の石造鳥居で、高さ3.35m、笠木の長さ4.45m。
天満宮の神使い・牛さん 御神馬像
ご神木・琴の楠
幹は空洞になっている。樹齢は1000年ともいうが不明。景行天皇が琴を埋めたら芽が出て楠に化したと伝えられ、清浄な人が息をとめて7回半回れば琴の音色が聞こえるという言い伝えがある。
注連柱と参道
琴の池内に鎮座する境内社:弁財天 厳島神社
琴の池
弁財天・厳島神社鎮座の島の形と池の形が楽器の琵琶の形を表すことから琴の池と称する。以前は琵琶堀とも呼び、鯉や亀などがいる。中の島では4月末から5月にかけてツツジの花が島を覆う。
太鼓橋
佐賀藩主鍋島治茂公の頃、琴の楠の枝が折れ石造の太鼓橋が損壊した。
藩より修復の命が庄屋に出されたが、なかなか建設できず、板橋のままであるという記録がある。
現在の石造太鼓橋が出来たのはその後であろうが、年代は定かではない。
随神門
両側に随神像が置かれている。今は無いが扉があった跡もある。
随神さん
境内の様子
参道の様子
拝殿前、文化9年生まれの狛犬
関東で言うと1700年代の狛犬の特徴を持っています。顔つき・姿勢はマントヒヒに似ており、鬣・尾の大きな渦はオーム貝の化石を思わせます。大きく口を開けた阿の口中にある厚い舌が目に付きます。
狛犬の拡大写真はこちらで
(文化9年(1812)壬申9月吉祥日建立)
拝殿
拝殿に掛かる順徳天皇御宸筆の文字と伝わる額
拝殿内の様子
権現造の本殿
天明6年(1786)に佐賀藩主鍋島治茂公により再建されたもの。
交差剣の社紋と同様に鍋島家の杏葉の家紋があちらこちらに見られる。
土俵   旧在郷軍人会の集会場・振氣館
能舞台
当地方では祭りのことをヌウ(能)と呼称する。これは祭りの時に能が奉納されていたからで、今でも高志神社(千代田町)には鷺流の狂言が保持されている。みゆき大祭の時にはその高志狂言がこの能舞台で執り行われる。当神社にも能面や衣装が残っており、かつては行われていたことが分かる。現在では謡曲・仕舞・舞踊の奉納がある。
境内社:宗像社
宗像信仰は遣隋使、遣唐使の時代に始まり、大陸との交易の安全を祈った。今日では交通安全全般の神様である。
推定樹齢700年のご神木・大楠
神埼碑
 「神埼発祥の地 櫛山」現神殿裏手の此の地は櫛田大神を最初にお祀りになった場所で、「櫛山(クシザン)」と称する霊域である。
 
オロチの酒甕
 神埼地方にも所謂ヤマタノオロチ伝説が残っており、そのオロチを酒に酔わせて退治した時の酒を入れた甕と云われている。古来より赤子の髪を納めて無病息災を祈る習わしがある。
境内社:天満宮 境内社:天満宮
境内社:櫛森稲荷神社、櫛丸稲荷神社入口
櫛森稲荷神社、櫛丸稲荷神社神橋と参道・鳥居
境内社:櫛森稲荷神社入口
櫛森稲荷神社を護る岩狛さん
建立年代不明で、若々しい狛犬です。
狛犬の拡大写真はこちらで
櫛森稲荷神社の神使い・お狐様
櫛森稲荷神社の神使い・お狐様
境内社:櫛森稲荷神社(伏見稲荷:倉稲魂神)拝殿と本殿
境内社:櫛丸稲荷神社入口
櫛丸稲荷神社の神使い・お狐様
櫛丸稲荷神社の神使い・昭和39年生まれのお狐様
(昭和39年(1964)11月吉日建立)
境内社:櫛丸稲荷神社(伊勢外宮:豊受姫神)拝殿と本殿
鎮守の杜