沖宮

那覇市奥武山町44(平成20年1月24日)

東経127度40分43.91秒、北緯26度11分54.85秒に鎮座。

 この神社は、奥武山運動公園の中、水泳プールの南に鎮座しています。奥武山には東の山、「黄金森(くがにむい)」、中の山「日護森(ひごぬむい)」、西の山「銀森(なんじゃむい)」と呼ばれる3山があり、この社は東の山の天燈山に鎮座しています。
 入口の大きな一の鳥居鳥居をくぐり階段を上がると、正面に拝殿が建ち、その後方には神明造の本殿、本殿の左には境内社・八坂神社、右には住吉神社、大國大明神、混比羅大明神、恵比須大明神が祀られています。その八坂神社の左から階段が上に続き、階段途中に赤い鳥居が建っています。尚も上がると最上部に天燈山御嶽がありました。御嶽には、天受久女龍宮王、底臣幸乙女王の石碑が建立されています。御嶽から下がった左右の道には、筆の碑、「琉球・沖縄・うるま世界平和之島」碑、「八幡大神、天照皇大神、春日大神」石碑、「包丁司」碑などが点在していました。

 御祭神:天受久女龍宮王御神(天照大御神)、天龍大御神、天久臣乙女王御神
       熊野三神(伊弉冉尊、速玉男尊、事解男尊)
 例祭日:歳旦祭・正月1日、節分祭・2月4日、例大祭(春)・旧3月23日、例大祭(秋)・旧9月5日、月次祭・旧毎月1日15日、七五三才祭・11月15日、夏越の大祓・6月30日、大晦日の大祓・12月31日
 境内社:住吉神社、弁財天宮、八坂神社、権現堂、祖霊舎
 由緒:この社は明治以前琉球国府から特別の扱いを受けた八つの官社・「琉球八社」の内の一社で、琉球八社とは「波上宮・沖宮・識名宮普天満宮末吉宮八幡宮天久宮金武宮」のことです。
 この社の創建は不詳ですが、源為朝公の時代と史料にあり、また「琉球国由来記」の沖山縁起によると、「往古、海中より光輝ある枯木を拾得し、それを熊野権現垂跡の霊木とし、その地に宮社を建ててその霊木を奉祀した。」とあります。国家安泰、五穀豊穣、陸海交通安全の神船玉神として歴代琉球王を始め諸民に尊崇され、明治の神仏分離までは「沖山三所権現」(沖の寺)と称して、阿弥陀如来・薬師如来・十一面観音を祀っていましたが、明治41年、那覇港築港の為、字安里に遷座しました。
 昭和10年国宝に指定されましたが、第二次大戦で焼失し、戦後、沖宮創始の御祭神即ち霊木の根は奥武山天燈山御嶽と神示を受け、御神慮により昭和36年に通堂町に仮遷座し、昭和50年8月現在地に遷座されました。

神社入口と大きな一の鳥居 一の鳥居に架かる社額
拝殿前の陶器製シーサー
耳を立て、その凜とした姿に神域を護るという自負と威厳を感じさせる、良いシーサーです。
シーサーの拡大写真はこちらで
拝殿
拝殿内の様子

神明造の本殿、左右から
本殿左の境内社:八坂神社 本殿右の境内社:住吉神社
天燈山御嶽入口 天燈山御嶽参道
天燈山御嶽参道脇のシーサー
頭上の鬣が、モヒカンカットのように一筋立てられて背中に流してあるのが、本土の狛犬にはない意匠で面白いですね。
天燈山御嶽全景 天受久女龍宮王、底臣幸乙女王
石碑
大國大明神、混比羅大明神、恵比須大明神
石碑と像
筆の碑
筆司の功績を称え祭った物です。
「琉球・沖縄・うるま世界平和之島」碑 八幡大神、天照皇大神、春日大神
石碑
「包丁司」碑 天燈山御嶽から見える国場川河口の様子