普天間宮

宜野湾市普天間1-27-10(平成20年1月24日)

東経127度46分44.89秒、北緯26度17分19.14秒に鎮座。

 この神社は宜野湾市で唯一の神社で、330号線・普天間信号のすぐ北に鎮座していますが、2005年に拝殿・本殿が建替えられ、とても立派になっています。
 鳥居を潜り境内に入ると、数段の石段上に境内があり、その正面に赤瓦の屋根を持つ大きな拝殿と同じく赤瓦の本殿が建ち、沖縄独特の雰囲気を漂わせています。その後方左側に、有名な普天間洞窟の入口があり、授与所でその旨を申し込み、住所氏名を記すと、巫女さんが案内をしてくださり、いくつかの鍵のかかった扉を開けて進むと、鍾乳洞の入り口に着きます。そこに至る通路も新たにきれいに整備され、獅子加那志やハーリー船(爬竜船)、琉球の焼き物など興味の尽きない品々が陳列されていました。
 ここは、普天間女神の伝説の舞台となった所で、洞窟は全長約280mの鍾乳洞だそうですが、公開されているのは、入口部分の40〜50m程で、巫女さんに「照明が無い所、行止りの奥には立ち入らないようにしてください。」と注意を受けました。
 その入口から少し階段を降りると奥宮の祭壇があります。公開部分にはライトアップがされており、様々な石柱や石筍、洞穴ノッチなどが見られ、如何にも霊的で神秘的な雰囲気があり、かなり鈍い私たちですら身が引き締まるような感覚にとらわれました。
 見学と参拝を終えた後、授与所にお礼を申し上げて引き上げます。普天間宮参拝の折には、是非ともこの奥宮への参拝と、鍾乳洞の見学をお薦めします。

 御祭神:熊野権現(伊弉冉尊、速玉男命、事解男命、天照大御神、家都御子神)
       琉球古神道神:日の神、竜宮神(ニライカナイ神)、普天間女神(グジー神) 天神、地神、海神
 例祭日:旧9月15日・例大祭
 由緒:この社は別称・普天満権現ともいい、琉球八社(波上宮沖宮識名宮・普天満宮・末吉宮八幡宮天久宮金武宮)の一つです。
 創建については往昔、普天間の洞窟に琉球古神道神を祀ったことに始まり、尚金福王から尚泰久王の頃(1450〜1460)熊野権現を合祀したと伝えられています。現存する古い記録には「普天満権現」碑(1590)があります。琉球神道記(1605)琉球国由来記(1713)琉球国旧記(1731)にも関係が記載されています。なお、普天満宮を熊野那智(飛瀧)、末吉宮(首里)を熊野新宮に、識名宮(那覇市繁多川)を熊野本宮に見立てて信仰されていたそうです。
 縁起伝承には首里桃原に女神が出現されて後に普天間の洞窟に篭られ、さらにその後、洞窟より仙人が現れて「我は熊野権現なり」と御神威弥高に示されたと伝えられています。船舶の安全、大漁、五穀豊穣、交通安全、会社隆昌、商売繁盛、縁結び、安産、初宮参り、学業成就等など結びの神様(諸願成就)として参詣者も多く、特に旧暦9月は普天満参詣と言って、かつては中山王はじめノロ、一般の人々が各地より参集し礼拝の誠を捧げました。
 昭和19年に県社昇格の予定になっていましたが、戦時の混乱により立消えとなりました。戦前の沖縄県神社明細帳には「社格特別由緒有神社」と特記されています。
 現在の社殿は戦後、県内外からの浄財により随時復興しました。洞窟内及び東洞口付近は遺跡となっており沖縄貝塚時代前期後半以後の遺物が多数発掘され、二万年前の鹿、イノシシの化石なども発見されています。平成3年「普天間宮洞穴」は宜野湾市天然記念物に指定されました。

神社入口

拝殿前、昭和4年生まれの石獅子
縦置きで阿吽が反対位置にいます。落ち着きと、ギリシャ神話の神々の様な厳かさに充ち満ちていますが、反面、老成した感じもします。鬣は太く短く、尾は数本に分かれ背に張り付いています。
拡大写真はこちらで
(昭和4年(1929)12月3日建立)
沖縄独特の赤瓦の屋根を持つ大きな拝殿
拝殿内の様子 本殿

「普天間宮洞穴」案内はこちらで

普天満女神の由来

 昔、首里の桃原というところに、世にも美しいひとりの乙女が住んでおりました。優しく気品に満ちたその容姿が人々の評判となって首里はもとより、島の津々浦々まで噂となりましたが、不思議なことに誰ひとりその乙女を見た人はいないのです。いつも家にこもりきりで機織りにせいをだし、外出もせず他人には決してその美しい顔を見せません。神秘的な噂に憧れて、村の若者達は乙女に熱い想いを寄せておりました。
 ある夕方乙女は少し疲れてまどろむうち、夢とも現ともなく荒波にもまれた父と兄が、目の前で溺れそうになっている情景がありありと見えました。数日前、父と兄や船子たちを乗せた船は、大勢の人に見送られ出帆していったのです。乙女は驚いて父と兄を必死で助けようとしましたが、片手で兄を抱き、父の方へ手を伸ばした瞬間、部屋に入ってきた母にわが名を呼ばれてハッと我に返った乙女は、父を掴んでいた手を思わず放してしまいました。幾日か過ぎて、遭難の悲報とともに兄は奇跡的に生還しましたが、父はとうとう還りませんでした。
 乙女の妹は既に嫁いでおりましたが、ある日夫が「お前の姉様は大そう美人だと噂が高いが、誰にも顔を見せないそうだね。私は義理の弟だから他人ではない。一目でいいからぜひ会わせてくれないか。」と頼みました。しばらく考えた妹は「姉はきっと会うのを断わるでしょう。でも方法がひとつあります。私が姉様の部屋にいってあいさつをしますから、そのとき何気なく覗きなさい。決して中に入ってはいけませんよ。」と答えました。
 乙女はいつものように機織りの支度をしていましたが、その美しい顔に何となく愁いが見えます。 神様が夢で自分に難破を知らせて下さったのに、父や船子たちを救うことができなかった悲しさが、乙女の心の糸車に幾重にも巻きついて放れないのです。旅人や漁師の平安をひたすら神に祈り続ける毎日でした。「姉様しばらくでございます!」 妹の声に振り向いた乙女は、障子の陰から妹の夫が覗いているのを見つけました。その途端に乙女は逃げるように家をとびだしました。
 末吉の森を抜け山を越え飛ぶように普天満の丘に向かう乙女に、風は舞い樹々はざわめき、乙女の踏んだ草はひら草(オオバコ)になってなびき伏しました。乙女は次第に清らかな神々しい姿に変わり、普天間の鍾乳洞に吸い込まれるように入って行きました。 そしてもう再び乙女の姿を見た人はありません。現身の姿を消した乙女は、普天満宮の永遠の女神となったのです。
(普天満宮略記より)
本殿脇の洞穴入口 洞穴入口
ここからもう何ともいえず
神秘的な雰囲気が漂っています。
入口から見た洞穴内の様子
奥宮左手は行止りですが、
少し小さな穴があり奥にまだ200m程続いています。
ここから先は照明が無く、入るには許可が必要です。
磐座?拝所?
とても大きな石筍です。
洞穴内の様々な鍾乳石。
綺麗にライトアップされて、神秘さが一段と増す感じがします。
奥宮
鍾乳洞に至る通路に展示されている獅子加那志
沖縄の海神祭(ウンガミ)には
欠かすことの出来ないハーリー船(爬竜船)です。