本宮境内から奥社・厳魂神社まで

 境内右奥から奥社への参道入口に建つ鳥居を潜ると、暫くはやや平坦な参道が続きます。約5分位歩くと真井橋が架かりすぐ左手に北原白秋歌碑や常磐神社が見えてきます。
 その後参道は西へ曲がり、しばらく階段登りをすると朱色の社殿が見えてきて、崇徳天皇を祀る白峰神社に参拝することになります。その後も少し歩くと菅原神社があり、ここからは比較的緩やかな参道が続き、卯花谷休憩所へと辿り着きます。
 奥社へ200mの標識を見て少し元気が出てきたら、鳥居を潜り最期の階段への挑戦です。長い階段は、手水舎の所でV字に曲がって更に続き、最期の階段を上って境内へ辿り着く頃にはかなり脚が笑う状態になっていますが海抜421mの厳魂神社から臨む琴平町の町並み・山並みは素晴らしく、本宮から約30分、大変な思いをして上がってきた者だけが味わえる満足感と眺望でした。

境内右奥の奥社入口
奥社への参道
真井橋から下を見る
北原白秋歌碑
境内社:常磐神社
参道脇の御神木

境内社:白峰神社 社務所
白峰神社拝殿
白峰神社本殿
白峰神社境内から奥社への参道入口 参道脇にあった亀石
境内社:菅原神社
菅原神社から奥社へと続く参道の様子
奥社へ200mの標識 「奥社500回参拝記念碑」
「奥社1000回参拝記念碑」
参道途中の明神鳥居
奥社・厳魂神社境内入口

ここに祀られているのは、金剛坊宥盛。第四代別当と言われています。松尾寺に金毘羅さんを勧請、松尾寺発展の基礎を創った宥盛は、死後神格化されて 金剛坊尊師と崇められ、本社や観音堂に並ぶ、後堂に祀られ、松尾寺金光院の僧たちに拝まれてきました。明治の世になり、坊主を崇めていては、具合が悪かったのでしょうか。厳魂彦命と名前を変え、本殿から遠く離れたこの奥社に、追いやられたと思われます。

奥社・厳魂神社拝殿
拝殿内の様子
奥社・厳魂神社本殿
社殿左側の岩場の崖に大きな烏天狗と天狗が飾られています。

天狗信仰
修験道が盛んになると金毘羅権現の眷属は天狗とされた。『和漢三才図会』には「当山ノ天狗ヲ金比羅坊ト名ヅク」と記された。また、戦国時代末に金毘羅信仰を中興した象頭山松尾寺金光院第4代別当で修験者でもあった金剛坊宥盛は、死の直前に神体を守り抜くと誓って天狗になったとの伝説も生まれた。
江戸時代になると、天狗の面を背負った白装束の金毘羅道者(行人)が全国を巡って金毘羅信仰を普及した。また、全国各地から讃岐国象頭山松尾寺を詣でる金毘羅参りの際には、天狗の面を背負う習俗も生まれた。
ウィキペディア より

歌川広重『東海道五十三次・沼津』

海抜421mの厳魂神社から臨む琴平町の町並み・山並み

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神苑・御旅所・鞘橋など