能登生国玉比古(のといくくにたまひこ)神社

七尾市所口町ハ48(平成21年5月4日)

東経136度58分5.23秒、北緯37度2分1.69秒に鎮座。

 この神社は七尾駅の南約600mに鎮座しています。参道入口から境内までは約150m程あり、境内入口に架かる石の太鼓橋はとても優雅な感じがします。随神門には大きな目を見開いた随神さんが居て、珍しく門の内側・頭貫の下に象と狛犬の木鼻が造られていました。拝殿は千鳥破風、唐破風付きの豪華な作りで、本殿は木々の中でよく見えませんでした。稲荷神社など境内社も三社祀られています。市街地の中にありながら、巨樹も聳える大きな鎮守の杜の中に、落ち着いた佇まいを見せる、素敵な神社でした。

 御祭神:大己貴神、素戔嗚尊、奇稻田姫命、事代主神、底筒男神、中筒男神、上筒男神、建御名方命
 例祭日:3月21日・平国祭(気多大社御輿を当本宮へ奉迎)、4月13〜14日・例祭(チャンチキ(チョンコ)山 旧社地(小丸山)へ当社の御輿出御、六つの曳山を供す)、7月最後の土・日曜日・なごし祭(西のおすずみ)
 境内社:御門神社(豊石窗神、櫛石窗神)、稲荷神社(倉稻魂神、大宮女命)、菅原神社(菅原道眞)、鍛冶祖神社(天目一箇神、金山彦神、金山姫神)
 由緒:延喜式に見られる能登生国玉比古神社といわれ、孝元天皇の創祀という。
 崇神天皇が当社の祭神を分霊し、羽咋郡竹津浦に勧請し気多神社とされた故に、当社を気多本宮と称する。
 天正年間に前田利家旧社地所口より現在の所口へ遷された。
 明治5年3月23日県社に列し、同39年12月29日神饌幣帛料供進神社に指定された。
 大正12年神門及び拝殿を銅葺とし、昭和42年より46年に亘り社殿を大修理した。
(「石川県神社庁公式サイト」より)
 社殿は第八代孝元天皇の御代に創建され歴代天皇の勅願所として愛宕山に鎮座していたと云います。

この社は下記に記す「能登国の式内社・能登生国玉比古神社」論社三社の内の一社です。
 能登生国玉比古神社・七尾市所口町ハ48
 能登生国玉比古神社・鹿島郡中能登町金丸セ35
 能登部神社・鹿島郡中能登町能登部上ロ70

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社号標 参道入口
参道途中に建つ台輪鳥居
参道の様子
社頭 入口に架かる石の太鼓橋
随神門
随神さん
随神門表側の木鼻・象
随神門裏側の木鼻・狛犬
境内の様子
参道途中にいる大正12年生まれの狛犬
この年代の狛犬としては形態が古い感じがします。もしかしたら、先代を模した物かもしれません。恰幅の良い滑らかですっきりした作りの狛犬ですが、台座から落ちたことがあるのでしょうか?顎や脚に欠損があるのが惜しいですね。
狛犬の拡大写真はこちらで
(大正12年(1923)4月吉日建立)
千鳥破風、唐破風付きの豪華な拝殿 拝殿に架かる額
「気多本宮」
木の間にチラッと見える本殿
境内社:稲荷神社
昭和15年生まれのお狐様
(昭和15年(1940)春建立)
境内社:菅原神社 境内社
絵馬