能登部(のとべ)神社

鹿島郡中能登町能登部上ロ70(平成21年5月4日)

東経136度52分31.55秒、北緯36度57分58.29秒に鎮座。

 この神社は能登部駅の北北東約1kmに鎮座しています。神社の200m程手前に社号標と鳥居が建ち、招魂社系狛犬の厳つい狛犬が目を光らせています。その社号標には「当社旧縣社 上古称能登生国玉比古神社 中古称能登比古神社」と書かれており、この社の社名の変遷が分かります。
 境内入口の大きな神門を潜り境内にはいると、そこは外界とは全く別の世界…という感じで、四方を豊かな鎮守の杜で囲まれた中に参道が通り、二の鳥居を潜ると石段参道、正面に大きく渋い拝殿が建っています。拝殿を回り込み裏に回ると、何処まで続くかと思わせる直登の石段があります。息を切らしながら上がっていくと、鞘堂内に流造の本殿が建立され、前面には素焼きの面白い狛犬がいました。狛犬好きの私達にとっては、端で見ている人には怪しく映るかもしれませんが、たまにこういう特典?があるので社殿内を覗いてみたくなるのです。

 御祭神:能登比古神、大入杵命、配祀:天照大神、豊受大神、少彦名命、天滿天神、建御名方命、迦具土命
 祭礼日:10月第4日曜日・秋季例祭、11月17日・苗裔祭
 由緒:当社は能登国造の祖能登比古神及び能登臣の祖大入杵命を祀る。
 社伝に大己貴命 当地に巡行ありて、わが苗裔たれと、式内能登生国玉比古神社は当社なり。
 その後 崇神天皇の皇子大入杵命、当地に下向あり殖産興業の道を開き給う。薨し給うや郷民その徳を慕い郷土開拓の祖神として崇め祀る。
 前田利家公入国に当り、深く当社を崇敬し、その室寿福院は当地に住みて、藩主利常公を出産す。以来藩主の産神として深く崇敬さる。
 明治4年現社号に改む、同14年御社、昭和7年県社に列す。
(「石川県神社庁公式サイト」より)

この社は下記に記す「能登国の式内社・能登生国玉比古神社」論社三社の内の一社です。
 能登生国玉比古神社・七尾市所口町ハ48
 能登生国玉比古神社・鹿島郡中能登町金丸セ35
 能登部神社・鹿島郡中能登町能登部上ロ70

参道入口
参道入口に居る昭和17年生まれの招魂社系狛犬
狛犬の拡大写真はこちらで
(昭和17年(1942)5月4日建立)
社号標
サイドには「当社旧縣社 
上古称能登生国玉比古神社
 中古称能登比古神社」
と書かれています。
参道入口に建つ一の台輪鳥居
 
参道の様子
境内入口の神門 社号標
境内の様子
境内に建つ二の台輪鳥居
拝殿前、建立年代不明の狛犬
人目を惹くのは太い前脚と大きなお尻・尾です。きちんと彫ってあるのですが、何故か全体としては石の塊…という風に見えてしまいます。最も私はこういう太めの子が好きなのですが…。顔はやや厳つく平歯が目立ちます。
狛犬の拡大写真はこちらで
拝殿
拝殿内の様子
拝殿内に居る神殿狛犬
本殿に通じる石段参道
本殿境内入口
本殿鞘堂と流造の本殿
本殿を護る素焼き?の神殿狛犬