太郎稲荷神社

柳川市坂本町6 (平成25年12月23日)

東経130度24分20.86秒、北緯33度09分35.89秒に鎮座。

この神社は、日吉神社の境内末社となっております。

正一位太郎稲荷大明神由来
総本社、京都伏見稲荷大社、祭神五穀の神、倉稲魂の神、神使霊狐。次道道雪は、稲荷明神の信仰が厚く出陣には、護軍の神として御幣を奉じ毎戦勝利の加護を受けられた。
藩祖立花宗茂公は、慶長5年(1600)9月大津城を攻め破り、武勲をたてられたが、関ヶ原で西軍は敗れ危険な道を切り抜けはるばる西下された。
暗夜、筑後川の岸神代の広い芦原で道に迷われた時、一条幽光が先導したので浅瀬がわかり無事柳川城に入られた。宗茂公の正室ァ千代姫は、父道雪公の志を受けついで稲荷明神を守り神と信奉された。
姫は、肥後腹赤村で明神が「夫君守護の為、しばらく姫のそばから離れるのだ」と告げられる夢を見て宗茂公は必ず帰国されるのを確信された。果して、宗茂公は20年振りに奥州棚倉藩主から柳川に帰国された。
入城後、直ちに肥後に居た僧金剛院誉を召し帰国して城濠の中の島に稲荷大明神を勧請しお城の守護神とされた。
明治維新になり城跡が民有地となってから多数の信者達により本丸天主(守?)跡地に鎮座され一般諸人の信仰も厚かった。昭和23年家柳城中学校が創建される時、日吉神社境内の現地に遷座され今日に及んでいる。
境内由緒書き より

江戸上屋敷の太郎稲荷はこちら。

江戸下屋敷の太郎稲荷はこちら。

神社正面

鳥居と社殿

優しそうなお狐様。