大分(だいぶ)八幡宮

飯塚市大分1272(平成22年4月4日)

東経130度37分40.46秒、北緯33度34分49.64秒に鎮座。

 この神社は筑前大分駅の南西約800mに鎮座しています。筥崎宮の元宮として知られるこの社は旧郷社だそうですが、入口の社号標には「九邦五所別宮第一大分宮」とあり、宇佐宮の本宮筥崎宮の元宮として、応神天皇出生の地として、又、征韓後の軍隊が解隊された由縁の地として、篤く信仰されていたようです。
 入口から神門までに三基の鳥居が立ち、倒立と起立で一対の弘化3年生まれの狛犬がいます。参道左には放生池があり、右奥には応神天皇産湯の井戸が残されています。その境内には三本の大楠が聳え、中でも神門左に聳える御神木の大楠は、神功皇后が朝鮮半島から持ち帰った木の子孫と伝えられています。とても推定樹齢約350年とは思えないほどの迫力がありました。
 神門表側には力強い仁王像、裏側には随神さんと狛犬が置かれており、神社としては珍しい置き方だな…と思いました。神門を入ると裏側は崖や小丘になっていますが、境内は明るく伸びやかで、正面に千鳥破風唐破風付きの大きな拝殿、流造りの本殿が建立されています。
 その本殿の後ろ側には、土砂崩れで社殿が倒壊したのでしょうか?ただ今整備中の境内社:大神宮と、左側の石段を上がると、裏山に皇室古墳埋蔵推定地「仲哀天皇御陵」が有ります。その他境内社も四社程祀られています。

 御祭神:応神天皇、神功皇后、玉依姫命
 祭礼日:元旦祭・1月1日、建国記念日・2月11日、春季大祭・4月卯の日、夏越祭・7月29日、秋季大祭放生会・9月30日 10月1日(県無形文化財 獅子舞奉納 流鏑馬 御神幸)、新嘗祭・12月中旬
 境内社:天満社、大神宮他
 由緒:当宮は、神功皇后御征韓後粕屋の宇美邑にて応神天皇御出産遊ばされ、翌年の春、京にお上りの際軍隊を引率され粕屋、嘉穂の郡境にある験しい山「ショウケ越え」を経られ、当宮に至り坐して暫しお止りになり筑紫の行政をお執り遊ばされ、此地にて軍隊を解隊せられし由縁の地なり。
 宇佐宮託宣集に我宇佐宮より穂浪郡大分宮は我本宮なりとあり。本邦五所別宮第一に列せられ朝廷の尊崇 篤く、筥崎宮の元宮として由緒正しく、第四十五代聖武天皇神亀3年(726)御神託によって創建せられ、応仁天正の九州動乱にて御社殿は兵火に罹り焼失し後天正5年(1577)秋月種実公勅命に依り現在地に仮殿を建立、御神霊を勧請鎮座せられたる御社殿がその侭今日に至る。
 神殿裏山の小高い丘状の盛土は、全国でも珍しい皇室古墳埋蔵推定地「仲哀天皇御陵」として考古学者の学問的期待をかけている聖地であり、往古旧社殿は小高い丘の前にありて跡地に礎石のみ残れり。

 秋の大祭である放生会では、流鏑馬や獅子舞が奉納され、京都の石清水八幡宮に学んだ格調高い獅子舞は享保9年(1724)にはじめて奉納されて以来、現在にいたるまで守り伝えられています。県内の獅子舞の一つの源流であることから県の無形民俗文化財に指定されています。(「市公式サイト」より)

「大分八幡宮由緒記」はこちらで

社頭(パノラマ写真)
神社入口に立つ一の鳥居 社号標
「九邦五所別宮第一大分宮」
一の鳥居のすぐ後ろにいる弘化3年生まれの狛犬
倒立と起立の一対で、保存状態も良く、この造りの狛犬の中では優れた逸品と思われます。
狛犬の拡大写真はこちらで
(弘化3年(1846)丙午8月吉日建立)
参道途中に立つ二の鳥居
広々とした手前の境内の様子
放生池
放生池畔に祀られた境内社 境内社
応神天皇産湯の井戸
御神木・県天然記念物指定・大楠
推定樹齢:約350年、胴周り径:約9m
「県天然記念物指定・大楠と公孫樹」拡大写真はこちらで
三の鳥居
注連柱と神門
神門表側に置かれた仁王像
神門裏側に置かれている随神さん
神門裏側にいる木製神門狛犬
昔は阿は赤、吽は緑の彩色が有ったようですが、ほとんど残っていません。潰れ顔で前脚がとても長い造りで、雌雄の別があります。
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境内の様子と社殿全景
拝殿
拝殿内にいる新しそうな神殿狛犬
狛犬の拡大写真はこちらで
本殿
境内社:天満社
境内社
境内社:大神宮
土砂崩れで社殿が倒壊したのでしょうか?ただ今整備中のようです。
左側の石段を上がると、裏山に皇室古墳埋蔵推定地「仲哀天皇御陵」が有ります。
末社 御神木