宇佐市南宇佐2859(平成20年7月22日)
東経131度22分40.98秒、北緯33度31分26.17秒に鎮座。
御祭神:応神天皇、比売大神(多岐津姫命 市杵嶋姫命 多紀理姫命)、神功皇后
例祭日:1月1日・歳旦祭、1月6日・御誕辰祭、2月13日・鎮疫祭、3月18日・例祭、4月1日・御正忌祭・八幡講社大祭、4月10日・桜花祭、4月29日・大元神社例祭、6月30日・大祓、7月26日・御田植祭、7月27以降最初の金土日の3日間・御神幸祭、10月第2月曜を含む土日月の3日間・仲秋祭、10月20日・風除報賽祭、10月21日・神能、10月23日・新嘗祭、酉の日より11月初卯の日に至る7日間・冬致祭、12月31日・大祓
境内社:若宮神社、春宮神社、黒男神社、八坂神社・養蚕神社、亀山神社、水分神社、木匠祖神社、八子(やこ)神社、春日神社、北辰神社、住吉神社・平野神社、天満神社
由緒:宇佐神宮は全国4万社余りの八幡宮の総本宮です。
八幡さまは応神天皇の御神霊で、欽明天皇の32年(571)に初めて宇佐の地に御示顕になったといわれます。
応神天皇は大陸の文化と産業を輸入、新しい国づくりをされた方で、神亀2年(725)、聖武天皇の勅願により現社地に御殿を造立、八幡神を奉祀されました。これが宇佐神宮の創立です。
もとよりこの宇佐の地は畿内や出雲と同様に早くから開けたところで、神代に比売大神が御許山に天降られたと『日本書紀』に記されています。宇佐の国造はこの神を祀り、八幡神が祀られた6年後に神託により、二之御殿が奉祀されました。
比売大神は後に海北の道中の主として筑前の宗像大社や宮地嶽神社、安芸の厳島神社に祀られています。
三之御殿は神託により、弘仁14年(823)応神天皇の御母「神功皇后」を奉祀されています。
この三殿一徳の御神威は、奈良東大寺大仏建立の協力や、勅使和気清麿公に国体を正してゆく神教を賜ったことで特に有名です。皇室も伊勢の神宮につぐ第二の宗廟として御崇敬になり、勅祭社17社に列し、一般の人々にも鎮守の神として広く親しまれてきました。
その御分霊は、平安京鎮護のための石清水八幡宮や、鎌倉の鶴岡八幡宮など、各地で祀られています。
また聖武天皇は神宮の造営と共に神宮弥勒寺を建て、弥勒菩薩、薬師如来を本尊とされ、これにより国東半島に六郷満山寺院がたくさん造られました。
八幡信仰は、応神天皇の御聖徳を八幡神として称え奉るとともに、仏教文化と、我が国固有の神道を融合したものとも考えられ、宇佐神宮の神事、祭会や建造物、宝物などにその姿を遺しています。
本殿は国宝に指定され、総本宮にふさわしい威容を誇っており、千古斧を入れない深緑の杜に映えて美しく、荘厳であります。
本殿(神殿)の建築様式には明神造(伊勢神宮)・大社造(出雲大社)・春日造(春日大社)・流れ造(上賀茂神社)など十種類以上の様式があり、宇佐神宮の様式は八幡造とよばれています。八幡造は、二棟の切妻造平入の建物が前後に接続した形で、両殿の間に一間の相の間(馬道)
がつき、その上の両軒に接するところに大きな金の雨樋が渡されています。桧皮葺で白壁朱漆塗柱の華麗な建物が、横一列に並んでいます。
奥殿を「内院」・前殿を「外院」といいます。内院には御帳台があり、外院には御椅子が置かれ、いずれも御神座となっています。御帳台は神様の夜のご座所であり、椅子は昼のご座所と考えられています。神様が昼は前殿、夜は奥殿に移動することが八幡造の特徴です。また、八幡造の基となったのは、二之御殿の脇殿・北辰神社の建物ではないかといわれています。
一之御殿が神亀2年(725)、二之御殿が天平5年(733)、三之御殿が弘仁14年(823) にそれぞれ建てられました。現在の建物は、安政2年から文久元年(1855〜61)に造営された建造物です。代表的な八幡造の神社は、石清水八幡宮(京都府)・柞原八幡宮(大分市)・伊佐爾波神社
(愛媛県)などが有名です。.
(宇佐神宮公式HPより)
宇佐神宮は全国4万社余りの八幡宮の総本宮で超メジャーな神社です。テレビなどで見かける光景は、南中楼門が映し出されるのみでその煌びやかさは知っていましたが、この様に深々とした杜の中に鎮座しているとは露知らず、観光神社だとばかり思っていました。
でも実際に参拝させていただくと、広大な境内の、きれいに整備された参道を右に左に参拝しながら歩み、宇佐神宮社叢と呼ばれるイチイガシの森の中を上宮に向かうと、徐々に聖域に足を踏み入れた様な、自分の心が洗われていくような感じがしてきました。
又、この社は全国的にも珍しい「2礼4拍手1礼」という拝礼方法をとっています。「出雲大社」も、この2礼4拍手1礼の拝礼をするのですが、この両社には何か関連があるのでしょうか?