敦賀市常宮(平成20年11月1日)
東経136度1分57.23秒、北緯35度41分13.95秒に鎮座。
この神社は、敦賀港の北西5km程の辺り、敦賀湾に面して鎮座しております。大宝三年(703)、気比神宮の摂社として創建されたと伝えられる。御祭神は神功皇后で、夫の仲哀天皇は気比神宮の祭神である。その為か、気比の神々が一年一度海上渡御をされ、当神社へお渡りになるという。また、気比神宮の奥宮とも呼ばれる神社。
御祭神:天八百萬比当ス・神功皇后・仲哀天皇
例祭:七月二十二日十一時
総参祭(そうのうまいり):七月二十二日正午
気比の神々が一年一度海上渡御をされ、当神社へお渡りになる。別名、七夕祭とも称される。
由緒
天八百萬比当スは上古より養蚕の神として霊験あらたかに此の地に鎮まり給い、今から約二千年前仲哀天皇の即位二年春二月に天皇、皇后御同列にて百官を率いて敦賀に御幸あり。筍飯の行宮を営み給うた。その後、天皇は熊襲の変を聞こし召され、紀州へ御巡幸せられ、陸路山陽道を御通過、山口県へ向はせ給う。皇后は二月より六月まで此の常宮にとどまり給い、六月中の卯の日に海路日本海を御渡りになり、山口県豊浦の宮にて天皇と御再会遊ばされ給うた。此の由緒を以って飛鳥時代の大宝三年(七〇三年)勅を以って神殿を修造し、神功皇后・仲哀天皇・応神天皇・日本武命・玉妃命・武内宿禰命を合わせまつられた。爾来、気比神宮の奥宮として一体両部上下の信仰篤く小浜藩政まで気比の宮の境外の摂社として祭祀がとり行われた。明治九年社格制度によって県社常宮神社となって気比神宮より独立いたした。
御神徳
天八百萬比当スは常宮大神ととなえまつり、養蚕の守り神として敦賀は勿論、県内南条郡、又三方郡、滋賀県北部の人たちの信仰をあつめ御神徳をたれ給うた。
神功皇后は三韓征戦の前、この地にて御腹帯をお着け遊ばされのち福岡県宇美市にて応神天皇(八幡大神)を御安産遊ばされた故事によって、古くより安産の神として御神徳をたれ給い、広く国内よりの参拝者多し。又皇后は此の地を御船出されるにあたり、海神をまつり海上の安全を御祈願され、はるばる日本海をわたって、遠く朝鮮までも無事航海された由縁により海上の守り神として漁業者・船主・船乗の深い信仰をあつめている。
境内由緒書より。原文はこちら。
神社遠景。右手は敦賀湾。
参道入り口
禊場
参道
参道を行くと左手に鳥居があり、そちらが境内ですが、右手に拝殿と書かれた建物があります。嘗ての参道はそのまま敦賀湾へと続いていたのでしょうか。
境内入り口に立つ二の鳥居
拝殿
スリム体型で優雅な狛犬です。拡大写真はこちら。
(文政11年(1828)7月吉日建立)
正徳3年(1713)再建、県指定文化財の本殿。
社殿全体
向拝下の龍
木鼻の狛犬
日本武命を祀る東殿宮
武内宿禰命を祀る西殿宮
東西殿宮で一対となっている笏谷狛犬。三島町・八幡神社・境内社・日吉社の狛犬によく似ています。拡大写真はこちら。
(寛政9年(1797)?建立)
白木彦神を祀る伊覩神社・住吉大神を祀る天鈴神社・磯良大神を祀る天国津彦神社・龍女神を祀る天国津姫神社
市杵島姫神を祀る竹生島神社 | 猿田彦神を祀る猿田彦神社 |
天照大神と豊受大神を祀る神明神社
豊玉稲荷大神を祀る稲荷神社
稲荷神社の狐さん
恵比須大神を祀る恵比須神社
玉姫命を祀る平殿宮
応神天皇を祀る総社宮
鎮守の森
境内前の海。向かいの煙突は敦賀火力発電所。