麻賀多神社

成田市船形834 (平成22年9月26日)

東経140度16分51.71秒、北緯35度46分36.31秒に鎮座。

【神社情報・1948さんより】
成田市台方の麻賀多神社(本社)の北方1Km程の所に鎮座しています。東隣に公津原古墳群39号古墳(伝、伊都許利命の墳墓)があります。

御祭神 稚日霊命
御由緒 台方の麻賀多神社を参照して下さい。

式内社・麻賀多神社(成田市指定文化財)
麻賀多神社は、平安時代に編纂された『延喜式』の「神名帳」に記載されている由緒ある神社で、市内台方区稷山と、ここ船形区手黒の二社あります。台方社は稚産霊神を、船形社は稚日霊神をお祭りしています。
境内由緒書より。全文はこちら。

麻賀多神社が分布するのは、印旛沼の東岸から南岸にかけての台地で、成田市台方・船形・米野・佐倉市鏑木町・大蛇町・飯野・飯田・岩名・大佐倉・江原新田・大篠塚・城・太田・高崎・印旛郡酒々井町酒々井・下台、同郡富里町中沢・新橋の4市町18地区に各1社の計18社である。これを称して「麻賀多十八社」と呼んでいる。県内はもとより全国でここだけに分布する神社で、本社は成田市台方の麻賀多神社とされ、『延喜式』神名帳に「印旛郡ー座小 麻賀多神社」と記載されている。台方から約800メートル北方の船形にある神社は、その奥宮である。
麻賀多神社は印波国造一族の守護神として、また当地方(『和名抄』に記載される印旛郡八代郷)開墾の神として祀ったものであろう。その後一族が分散するにともない、その土地にも麻賀多神社を分祀したのであり、現在の麻賀多神社の分布地は古代における印波国造一族の掌握圏内にあったと考えられる。そして麻賀多神社が印旛沼を渡った北岸には一社も存在しないことから、印波国といっても沼の北側(現在の印西町、本埜村、印旛村など)は、国造の強い支配が及んでいなかったといえよう。
印旛沼周辺の神社と古代氏族  より

社号標と参道入口

平成の岡崎型狛犬

二の鳥居:木製両部型鳥居

拝殿

麻賀多大神宮の神額

本殿


祓戸神社

御神木

加志波比売神社 香取神社
八代稲荷神社 粟生日神社

菅原神社

熊野神社

世直神社

伝、伊都許利命墳墓

伝、伊都許利命墳墓石櫃

伝、伊都許利命墳墓・古墳出土石