麻賀多神社

成田市台方1 (平成22年9月26日)

東経140度16分46.8秒、北緯35度46分2.99秒に鎮座。

【神社情報・1948さんより】
国道464号線に面して鎮座しています。宗吾霊堂より北へ1.5Km程の位置です。一の鳥居は印旛沼畔に建っていますが、今回は行きませんでした。樹々に囲まれた境内の中で御神木の大杉の幹の太さは別格でした。

御祭神 稚産霊命

御由緒
式内社で、旧社格は郷社。「麻賀多十八社」の惣社である。社伝によれば、景行天皇42年6月晦日、東征中の日本建尊が当地を訪れ、杉の幹に鏡を懸け「この鏡をインバノクニタマオキツカガミと崇めて祀れば、五穀豊穣になる」と言い、伊勢の大神を遥拝したのが当社の起源であるという。応神天皇20年、神八井耳命の8世の子孫である印旛国造・伊都許利命が現在の成田市船形に社殿を造営し、その鏡を神体として稚日霊命を祀った。また、伊都許利命は杉の木の下から7つの玉を掘り出し、それを神体として和久産巣日神を併せ祀った。この2神は「真賀多真(勾玉)の大神」と呼ばれた。推古天皇16年、伊都許利命の8世の子孫の広鋤手黒彦命が、神命により現在の成田市台方に和久産巣日神を遷座し、それまでの社殿を奥宮とした。
延喜式神名帳に記載の際、「真賀多真」が三種の神器の一つと同名であるとして、一字取って「真賀多神社」に改称した。後に、一帯が麻の産地であることから麻賀多神社に社名を改めた。
ウィキペディア  より

社号標と参道入口

参道

昭和岡崎型狛犬

(昭和59年(1984)7月31日建立)

拝殿

本殿

脇障子

神楽殿

御神木

天日津久神社

祓戸

左:古峰神社・右:三峰神社

左:印旛国造神社・右:馬来田朗女神社

天神神社