伊都許利(いつこり)神社(金比羅神社)

成田市船形827 (平成22年9月26日)

東経140度16分53.60秒、北緯35度46分34.55秒に鎮座。

【神社情報・1948さんより】
この神社は麻賀多神社の東隣「伝、伊都許利命の墳墓」のさらに東隣に鎮座しています。麻賀多神社の参拝後まず古墳を訪れました。
古墳入口の伊都許利由緒を読むと、最後に「伊都許利神社々務所」とあります。では隣にある神社は「伊都許利神社」と思いきや神社の正面に回ると鳥居には「金刀比羅神社」とあります。鳥居を潜ってすぐ右側に手水鉢がありました。銘を見ると「印旛(ノ木偏)@國造 伊都許利神社」とあります。参道階段の前の社号標には「金刀比羅神社」とあります。古い写真を見ますと木造朱塗りの社殿でしたが平成20年に石造の社殿に建て替えられていました。旧社殿の土台に囲まれているようです。古墳の石燈籠2基の銘を見ますと「神主 太田」とあります。
さらに東隣の「学校法人太田学園 くすのき幼稚園」を含めて麻賀多神社の宮司太田さんが管理していることには間違いないでしょう。
伊都許利神社についてはまだ調査中です。
案内板はさほど古くは無く、されど金比羅神社の社号標は新しくない、2社あったのかな?伊都許利神社はどこに行った!くすのき幼稚園の入園式には成田市長が挨拶していますね。

管理人の一言。
1948さんよりも悩んでおられるようですが、千葉県神社庁では該当地区に金比羅神社は無く、伊都許利神社となっています。よって、当サイトでは一応「伊都許利神社」としておきます。

伊都許利命由緒
伊都許利命(いつこりのみこと)は、神武天皇の皇子、神八井耳命(かんやいみみのみこと)の八代目の御孫で、応神天皇の命を受けて、印旛國造としてこの地方を平定され、産業の指導などに多くのご功績を残されています。
その昔、日本武尊ご東征の折大木の虚に鑑をかけ、根本に七つの玉を埋めて、伊勢神宮に祈願されました。命は「この鏡をあがめ祀れば永く豊作が続く」との教をきき、その鏡をご神体として、この地に稚日霊命を(手里神社)祀りその後、ご霊示によって七つの玉を掘り出して稚産霊命(台方神社)を祀り、共に麻賀多眞大神(まがたまのおおかみ)として、里人の崇敬を指導されてから、益々豊年と楽土が続きました。
なを、佐倉藩磯部昌言氏の記す佐倉風土記を始め塚上の古建碑等によって治績が広く知られ、又明治四十四年、大正三年の二回に亘って古墳が保存され、近年成田市の史跡に選ばれました。・・・・・以下省略
伊都許利神社々務所。全文はこちら。

神社入口に立つ平成十年建立の鳥居

手水鉢銘

印旛國造
伊都許利神社
手水鉢銘
天明7年(1787)丁未仲冬
社司出雲守
従五位下藤原朝臣

参道&社号標

社殿

社殿の銘
平成二十年十月吉日

古墳入口

石燈籠と社殿

石灯籠

墳墓上の石柱