船橋市東船橋7-20-1 (平成23年1月4日)
東経140度0分12.7秒、北緯35度41分25.9秒に鎮座。
【神社情報・1948さんより】
京成船橋競馬場駅とJR東船橋駅の中間やや京成よりの所、小高い住宅街に鎮座しています。参道は長く、木々に囲まれています。
昔はここから富士山が見え、地元の人は「浅間神社」とも呼んでいたとの事。社務所の隣の建物が昔の社殿との事、屋根は茅葺き、まわりは(トタンではなく)板張りだった。
その前に鳥居があり、狛犬が居たとのこと。(地元の人の話)
改修の時、現在の位置へ移したとのこと。現在はその面影は残っていませんでした。
その狛犬に案内してもらいました。社殿の横に居ました。一方は壊れて狛犬とはわかりません。
脇参道の社号標を見ると私は地元の人の云う通り「浅間神社」と呼ぶのがふさわしいような気がしました。
茂侶神社縁起
当茂侶神社の起原は古く延喜式神名帳に、下総國葛飾郡二座、茂侶神社・意富比神社
とあり、今を去る千六百年前すでにこの地に鎮座されて居たのであります。愛媛縣越智郡瀬戸内海大三島祭神は阿多の豪族大山祇神の姫御子で日本の女性の表徴である木花開耶姫を祀り、古来縁結び安産子育ての神として、地元民の崇敬する処でありました。摂社として祭神の姉命磐長姫を祀り小御嶽神社と申して居ります。
三代実録に清和天皇の貞観十三年十一月十一日下総國従五位下茂侶神に従五位上を授く、とあり又陽成天皇の元慶三年九月二十五日下総國正五位下茂侶神に正五位上を授くとあります。
西北にある湧池は天の眞名井と称する当社の神池であります。
江戸名所図会によれば、年の始に隔年この神域より柳営に根引の若松を選び上納する旧例とす、とあります。古来例祭は旧暦6月1日に行う。
境内由緒書き より
『延喜式』神名帳記載の下総国葛餝郡・茂侶神社。千葉県内には三つの神社が論社となっております。
他の二つは、流山市三輪野山の茂侶神社、松戸市小金原の茂侶神社。
参道入口
「延喜式内 茂呂神社」の社号標
参道
鳥居と社額 | |
境内入口の岡崎型狛犬 | |
(昭和55年(1980)7月吉日建立) |
手水舎 | 手水舎用井戸 |
拝殿
本殿
一体だけの先代様 | |
脇参道・仙元宮
仙元宮を護る岡崎型狛犬 | |
(昭和56年(1981)7月吉日建立) |
摂社・小御嶽神社鳥居 | 摂社・小御嶽神社社殿 |
摂社・小御嶽神社手水
脇参道
元社殿
二十六夜塔 | 分からず |
出羽三山巡拝碑 | 庚申塔 |
石碑
天の真名井・井戸屋形
真名井について
ここは、古くは窪地になっており、その名を真名井と呼び、当時の人々は、ここの湧水から水を汲み、飲料水として使用しておりました。
昔弘法大師が訪れ、錫杖で掘りさげた泉という伝説があり、側に弘法大師を祀ってあります。
戦後、宮本中学校を造る為に校庭の整地をした頃から、湧水の水位が低くなっていましたが、当時の古老達がこのままでは弘法大師に申し訳ないと、井戸を整備し、大師堂を祀り直しました。
現在の大師堂はその二代目のお堂です。私たちもこれに倣って、壊れた井戸屋形を復元いたしました。
天の真名井・大師堂