弘前八幡宮

弘前市八幡町 (平成21年7月22日)

東経140度28分58.16秒、北緯40度36分49.08秒に鎮座。

この神社は、弘前城の北東1.5km程の辺り、八幡町に鎮座しております。

御祭神 誉田別命・息長足姫命・比売女神
例祭日 八月一日
由緒
慶長十七年 (一六一二) 二代藩主信牧公の治世、大浦郷八幡から、それまで大浦城の鎮守と崇めて来た八幡宮をこの地に遷座致しました。古伝によりますと、信牧公が霊夢によって城の東北方に高林と呼ぶ霊地を卜定したと言われ、これが現在地である。
弘前八幡宮は弘前総鎮守、弘前城鬼門守護の藩内における最も尊貴な社として祭典の斎行社殿社地の維持管理、社家の処遇等一切藩費によって賄われた。天和二年より行はれた祭礼は弘前市立図書館に保存されている絵巻物によって当時の盛観を偲ぶ事ができます。
尚本殿、唐門は桃山時代の様式で代表的な神社建築として、昭和十一年国宝指定、現在は重要文化財建造物、棟札五枚を含む、となっております。
青森県神社庁公式サイトより。

御祭神
誉田別尊・気長足姫尊・比売大神、外に配祀・五柱
御由緒
 弘前八幡宮の草創は、平安初期 坂上田村麿が蝦夷征伐で苦戦を続けたとき八幡村(現岩木町八幡)小祠を建て、宇佐八幡宮を遥拝し武運を祈願したことに始まる。と伝えられている。
 その後、二代藩主信牧公弘前城を築くに際し、城の鬼門(東北方)を守護するため、それまで百年余大浦城の守護神として崇敬されてきた八幡宮の御神体を、慶長十七年(1612)八幡村から弘前のこの地に奉遷した。この場所は信牧公が霊夢によって選定したといわれ、同時に堀越にあった最勝院をはじめとして五の別当寺院を参道の両側に建立した。
 現在ある本殿と唐門は当時の建物であるが、さすがに藩主が天下泰平、藩中安穏、民心和楽の悲願をこめて造営したものだけに、東北地方では珍しい桃山様式を伝える代表的な神社建築といわれ、昭和十一年(1936)国宝の指定をうけ現行制度では重要文化財となっている。
 この地に鎮座以来、弘前総鎮守の社として藩内の最も尊貴な神社の一つとなり、藩主代々の信仰も厚く、殊に天和二年(1682)から藩主在国の年(隔年)に行われた藩内最大の神輿渡御の祭礼では、全領内から百名をこえる神官の参集供奉のもとに、各町内から山車を繰り出すなど、まことに盛大なものであった。と記録されている。
 明治の社寺改革により境内参道の別当寺院は移転し、八幡宮は明治六年(1873)弘前郷社に列せられ、同十三年縣社に昇格した。現在は宗教法人弘前八幡宮となっている。
 なお当社奉仕の神主は、初代より小野家当主が代々これに当り、現在まで十五代、三百五十余年続いている。
境内由緒書より。原文はこちら。

津軽二代藩主信牧公は戌年生まれ、戌年一代様は八幡大菩薩。しっかり自分と城を守って欲しかったと思われます。

社号標と一の鳥居。正面が八幡宮。

参道入り口の狛犬。やや情けない顔つきの狛犬です。台座には新石松樓・酔月樓・萬葉樓・長久樓・峯月館・延年閣等の文字が見えます。戦前は遊郭が立並んでいたのでしょうか。拡大写真はこちら。

(石工・山内三次郎 明治32年(1899)己亥8月15日建立)

境内入り口に建つ二の鳥居

拝殿。本殿は左手の赤い格子戸を潜り抜けて行きます。

格子戸と拝殿の間にお住いの一体だけの狛犬

格子戸の左側にある岩。古くからこの地にあった御神体なのでしょうか。左手は天満宮。

唐門。お目当ての笏谷狛犬はこの前にいらっしゃいます。

唐門正面

狛犬さん達はこんな具合にお住いです。

素晴らしい笏谷狛犬です。多賀神社の狛犬より保存状態は一段と良好なようです。拡大写真はこちら。

狛犬は、仏教伝来と共に伝えられ、通常、口を開けた阿と口を閉じた吽の一対が、魔除けのために置かれます。
 この狛犬は、寛文四年(1664)に奉納されたもので、同じく市指定文化財の熊野奥照神社・多賀神社(目屋桜庭)の狛犬と年紀・石質・大きさ・形状共に酷似しているため、同一工房において造られたと考えられます。
 また、石材が福井笏谷石であることから、日本海航路で搬入されたものと推定され、当時の文化圏を考察する上で貴重なものです。
弘前市教育委員会。原文はこちら。

当市弘前八幡宮、熊野奥照神社目屋桜庭多賀神社(旧清水の観音堂)には市指定の石造狛犬が各一対ずつある。これら三体は石質、大きさ、形状共に酷似し、刻銘は八幡宮が「斎藤平左衛門」、熊野奥照神社が「金吉安」、多賀神社が「奈良岡権右衛門」と奉納者が異なっている外は、年紀は同じ「寛文四年」であり、それらの書体まで酷似している。三名の奉納者は当家中の武士と推定される。
 六基の狛犬は同一工房に於いて造られたものと認め得ようが、その石材は当地方では産しない。恐らくは越前・越後方面より完成品として北前船によって海上輸送されて来たものであろう。
 現在、日本海岸沿いの由緒ある社寺に北前船の船主や船頭達が奉納した小形ではあるが石造狛犬を発見しうることからも推論できよう。
 それ故に江戸時代の海上を主要とした交易の解明に貴重な資料となっている。なお、三対とも像高約60cm、像長55cm程度のものである。
弘前市文化財資料より。

(寛文4年(1664)卯月吉日建立)

本殿

田代大神

田代大神を守る狛犬。拡大写真はこちら。

高山開運稲荷神社

お狐さま

内部