大神(おおみわ)神社

一宮市花池2-15-28 (平成24年4月28日)

東経136度47分46.31秒、北緯35度17分17.87秒に鎮座。

この神社は、尾張一宮駅の南1km程の辺り、一宮の市街地に鎮座しております。街中ながら式内社に相応しい落ち着いた佇まいとなっております。桜井市三輪、大神神社の御分霊を祀る、この神社は、大和朝廷の支配とともに創建されたと思われます。又、同じ一宮市の真清田神社と供に尾張國一宮を称しております。

尾張國一之宮 大神神社の由来
社格 延喜式内社・旧郷社
祭神 大物主神
崇神天皇の御代、疫病が流行したときに天皇が祀った神々の一柱。大和の國一の宮大神神社の祭神で、三輪の神とよばれ、大國主神(大國様)の別名がある。
大和の大神神社と同じく、大和系の人々が三輪の神を祀ったことにはじまるといわれる。鎮座地の花池は水が美しく、蓮田が多く、毎年熱田神宮に奉納する蓮が咲く沼であった。
奈良時代に國司が赴任して、國中の神社を代表として、國府宮の「尾張大國霊神社」を尾張の總社に指定、次いで花池の「大神神社」と「真清田神社」をまとめての「相殿・対の宮」と言うことで「尾張の一の宮」に指定した。「文徳実録」「尾張國帳」には従一位大名神とあり三宮明神、三明神へ神宝として珠・鏡・矢と三種の御証印があったと称せられ、延長5年延喜式神名帳には式内社とあり、勅祭神社であったことが判る。
尾治の國中には、大名神八座、小一二三座あって、当時の大名神八座の内の一座である。
境内由緒書き より

旧鎮座地の地名は大和町宮地花池(現在の古宮公園の位置)であり、大和国から移り住んだ人々が創始したともされる。他に、天火明命(尾張氏の祖神)の十世の孫である大美和都禰命(オオミヤツネノミコト)が祭神であったとする説もある。神紋は桜井市の大神神社と同じ三杉である。
当社が尾張国一宮であるとする説があり、近くには同じく尾張国一宮とされる真清田神社がある。大神神社の社伝では、大神神社と真清田神社を相殿として一宮としたと伝える。当地は熱田社の荘園(熱田庄)であり、毎年旧暦7月7日には熱田社に素麺と蓮を奉納していた。当社が尾張国一宮とされることがあるのは、熱田社との関連であると考えられる。
戦国時代の浅井田宮丸の乱で社殿を焼失して以降荒廃し、神宮寺である薬師寺の境内に遷座した。明治3年、薬師寺に隣接する現在地に再建された。現在、神職は常駐しておらず、市内の大神社の宮司が兼務している。
ウィキペディア より

神社遠景

参道入口

参道

境内

拝殿正面の蕃塀。嘗て参道はこちらにあったようです。

拝殿

渋い親父面の浪速狛犬。拡大写真はこちら。
(大正3年(1914)1月建立)

社額

拝殿内部

本殿

左脇社
右脇社

末社

悪戯小僧のような浪速狛犬。拡大写真はこちら。
(慶応2年(1866)丙寅8月吉辰日建立)

この木造狛犬は何処にあるのでしょうか。

御神木の楠