真清田(ますみだ)神社

一宮市真清田1-2-1 (平成24年4月28日)

東経136度48分18.10秒、北緯35度18分15.66秒に鎮座。

この神社は、尾張一宮駅の北東800m程の辺り、市の中心部に鎮座しております。そもそも市の名称が、尾張一宮である当神社に由来するもので、門前町として発達した一宮市の中心であるのはむしろ当然かと思われます。一宮・真清田神社、二宮・大縣神社、三宮・熱田神宮といわれているが、一番有名な熱田神宮が一宮ではない理由は、国衙からの距離であると考えられているようです。

御祭神 天火明命(あめのほあかりのみこと)

当社の鎮座は、社伝によれば神武天皇33年。
当社は、平安時代、国家から国幣の名神大社と認められ、神階は正四位上に叙せられ、尾張国の一宮として、国司を始め人々の崇敬を集めました。鎌倉時代には、順徳天皇は当社を崇敬され、多数の舞楽面をご奉納になりました。その舞楽面は、現在も、重要文化財として当社に保存されています。
江戸時代には、徳川幕府は神領として、朱印領333石を奉りました。また、尾張藩主徳川義直は、寛永8年(1631)当社の大修理を行う等、崇敬を篤くしました。明治18年には国幣小社、大正3年に国幣中社に列し、皇室国家から厚待遇を受けました。
戦後は、一宮市の氏神として、一宮市民はもちろん、尾張全体及び近隣からも厚い信仰心を寄せられ今日に至っています。 尚「一宮市」の名称も当社が尾張国一宮であることに由来しており、全国で「一宮」の名称を冠する自治体は1市6町に及びますが、市制のひかれている自治体は当社の鎮まります一宮市のみとなります。

真清田の由来
当社の鎮座する一宮市は、古くは木曽川の流域に沿っていました。流域は常に文化の形成に大きな役割を果たします。一宮の発展にも、木曽川の恩恵があります。
今でこそ、繊維の街として有名ですが、もともとこの地域は、木曽川の灌漑用水による水田地帯として、清く澄んだ水によって水田を形成していたため、真清田(ますみだ)と名付けられたといわれています。
真清田神社公式サイト より

延喜式神名帳に記載の神社は尾張国中島郡「真墨田神社」。漢字は後に、「真清田」と換えられ、更に漢字から真清田の由来となったのかも知れません。御祭神は、尾張氏の祖神である「天火明命」としているが、正式に決められたのは明治。それまでは諸説あったようで、「大己貴命」、「国之常立神」、「天照大神」とさまざまであったようです。しかし御祭神が不明ということは、それだけ神社の始まりが古い証拠と言えるかも知れません。

境内案内図等はこちら。

参道入口

鳥居

参道

神橋

楼門

境内

拝殿

拝殿内部

本殿

御神木

ポール・ハリスの樹

神水舎