桜井市三輪 (平成19年1月3日)
この神社はJR桜井線・三輪駅の東北東約450mに鎮座しています。といっても日本一大きいといわれる大鳥居は駅の反対側約550mにあり、合計するとその参道は約1kmにも及ぶ奈良を代表する大神社です。一昨年は時間帯が悪く、大変な混雑のため参拝を諦めたという記憶があるため、今年は朝一番に、まだ朝靄のかかっているという状態の中での参拝でしたが、もう結構な行列ができていました。大和国一宮ということで人が集まりやすいのでしょうか。神社自体は三輪山全体を神体山としているくらいで、とても緑豊かな良い雰囲気の神社なのですが、如何せん、人が多すぎ落ち着いた参拝は望むべくもありませんでした。何時か機会があったら、ぜひ平日の参拝をしたい神社でした。
御祭神:大物主神・大己貴神・少彦名神
由緒:名神大の式内社で大和国一宮です。中世には二十二社の中の七社のひとつとされていました。旧社格は官幣大社(現・別表神社)で、三輪明神とも呼ばれています。
日本神話には、大国主神(大己貴神)は少彦名神とともに国造りをしていましたが、国造りなかばにして少彦名神は常世に帰ってしまわれ、大国主神が、「この後どうやって一人で国造りをすれば良いのだ」と言うと、海原を照らして神が出現されました。その神は、大国主の幸魂奇魂(和魂)であり、大和国の東の山の上に祀れば国作りに協力すると言われました。それ以来今日まで三輪山全体を神体山として奉斎し、それ故本殿を持たない、神代の信仰の形を今に伝える原始の神社の形態を残し、拝殿内にある三ツ鳥居より先は禁足地となっています。
又、大物主神は蛇神であり水神または雷神としての性格を持ち、稲作豊穣、疫病除け、酒造り(醸造)などの神として篤い信仰を集め、また国の守護神である一方で、祟りなす強力な神ともされています。
崇神天皇7年(紀元前91)に天皇が伊香色雄に命じ、三輪氏の祖である大田田根子を祭祀主として大物主神を祀らせたのが始まりとされ、日本書紀には、大物主神が倭迹迹日百襲媛命に神懸かりして、また、臣下の夢に現れてした神託に従い、大物主神の子である大田田根子に大物主神を祀らせたとあります。国史にも、奉幣や神階の昇進など、当社に関する記事が多数記され、朝廷から厚く信仰されていたことがわかります。また、摂社の檜原神社は、天照大神をはじめて宮中の外に祀った「倭笠縫邑」の地であると伝えられ、元伊勢の一つとなっています。
拝殿は寛文4年(1664)徳川四大将軍家綱の造営で、唐破風造の大向拝がついた江戸時代を代表する建物で、重要文化財に指定されています。拝殿の奥正面三輪山との間には明神型鳥居三つを一体に組み合わせた形式の「三ツ鳥居(三輪鳥居)」(重要文化財)が建っています。
【摂社】
(三輪山内)
檜原(ひばら)神社、
狭井坐大神荒魂(さいにますおおみわのあらみたま)神社・延喜式内社、
磐座神社、
活日神社
(三輪山頂上)
高宮(こうのみや)神社
(境外社)
玉列(たまつら)神社 桜井市大字慈恩寺・延喜式内社
神坐日向(みわにますひむかい)神社 桜井市大字三輪字御子宮・延喜式内社
綱越(つなこし)神社 桜井市大字三輪字大鳥居・延喜式内社
神御前(かみのごぜん)神社 桜井市大字茅原
大直禰子(おおたたねこ)神社 桜井市馬場
率川坐大神御子(いさがわにいますおおみわのみこ)神社 奈良市本子守町・延喜式内社
率川阿波神社(摂社率川神社境内)・延喜式内社
【末社】
(三輪山内)
御炊(みかしぎ)社、祓戸神社、神宝神社、天皇社、貴船神社、八坂神社、琴平神社、金拆神社、天宮社、神室神社、大峰社
(摂社 玉列神社境内)
祓戸社、金山彦神社、猿田彦神社、愛宕社
(境外社)
富士・厳嶋両社 桜井市大字茅原堂ノ前
大行事社 三輪字平等寺
春日社 三輪字平等寺
久延彦(くえひこ)神社 三輪字若宮山
稲荷神社 三輪字馬場方(元、大神神社神宮寺である浄願寺の鎮守祠)
(摂社 率川神社境内)
春日・住吉両社 奈良市本子守町
(摂社 檜原神社境内)
豊鍬入姫宮
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