南方八幡宮

宇部市西岐波2467(平成20年8月2日)

東経131度18分47.41秒、北緯33度57分41.07秒に鎮座。

この神社は、宇部線・床波駅の北1500m程の辺り、南方公園の東側に鎮座しております。緑豊かな参道を持つ静かな神社です。しかも嬉しいことに四対もの狛犬が迎えてくれます。

主祭神:応神天皇・仲哀天皇・神功皇后・田心姫命・湍津姫命・市杵島姫命
配祀神:罔象女神・大山祗神

孝謙天皇天平勝宝三年厚東武綱公豊前国宇佐八幡宮の御分霊を迎え社を建て賀保庄(現在の佐山より西岐波迄)の守り神としておまつりした。初めは古尾(東岐波)に奉斎したが天福元年大内十五世多々良弘貞朝臣の時南北に分ち南は吉沢に社を建て南の宮とし、北は須田村に分ちて北の宮とした。その後応永十五年祝融の災いに罹り本社、末社、神宝等悉く消失したが同十七年当国の守護大内左京太夫盛見朝臣の命を奉じ再建。神殿、幣殿、舞殿、若宮まで造営を終えた。しかし楼門尚欠けたのを遺憾とし、永禄十二年造営を初め元亀二年に完成した。爾来年月を経て応長十年頃社頭廃頽頻年疫病流行し、五穀熟せず村人大いに恐怖し、社殿造修の事、国庁に謀り寛永十四年復旧をおえた。現在の社殿概ね其の当時の建築である。楼門は享保五年(宝暦年中とも云う)の再建と伝えられている。本宮は昔、南北分社以来、永年岐波村一円の氏神であったが明治の中ごろ岐波村二ヶ村に分離し現在は両岐波地区の氏神である。・・・・
境内由緒書より。全文はこちら。

御創建は、奈良時代の天平勝宝三年(751)、厚東氏四代の白松太夫武綱公が、豊前国宇佐八幡宮の御分霊を迎え、古尾(現在の東岐波区古尾)の地に社を建て、吉敷郡賀保荘の鎮守としたことに始まる。鎌倉時代の天福元年(1233)、大内十五世多々良弘貞の時、賀保荘を南北に分け、南は吉沢(西岐波上ノ原)の清水山に仮宮を建て、その後建長七年(1255)、現地に奉遷して南方八幡宮とし、北は須田村へ北方八幡宮としてそれぞれ分祀された。その後室町時代の応永十五年(1408)、火災に罹り、本社・末社・神宝等悉く焼失した。そのため、応永十七年(1410)に領家・地頭・公文等の三家は、守護大内左京太夫盛見の命を奉じて再建に着手し、本殿・幣殿・舞殿・若宮まで造営を終え、元亀二年(1571)には懸案であった楼門も造営された。その後年月を経て、江戸時代の慶長十年(1605)頃には、当社は大変衰退した。そのためか、しきりに疫病が流行し五穀も稔らず、そのため村民は恐怖し、社殿造修の事を藩庁に上申したが許可されなかった。漸く寛永十四年(1637)に至り、復旧の許諾を得た。現在の社殿は概ねその時の建築であるが、本殿は元禄八年(1695)、楼門は享保五年(1720)、解体修理して再建した。明治六年(1873)郷社に列し、昭和十八年(1943)県社に昇格した。
山口県神社庁より。

神社入り口

入り口左右の狛犬。拡大写真はこちら。

(嘉永2年(1849)3月吉日建立)

社号標と参道

参道途中の狛犬。拡大写真はこちら。

(萬延2年(1861)建立)

楼門

さらに参道の狛犬。拡大写真はこちら。

(慶応4年(1868)正月吉日建立)

楼門前の狛犬。拡大写真はこちら。

楼門

拝殿

本殿

御神木