金刀比羅宮

下関市彦島福浦町1-27-1 (令和元年7月22日)

東経130度54分08.60秒、北緯33度55分11.49秒に鎮座。

この神社は、彦島南西・福浦港の突端、福浦金刀比羅公園に鎮座しております。

御祭神 大物主之神・神功皇后

由緒
文政2年(1819)旧藩主毛利元義公が海防と福浦港の繁栄を図るため、郡代水野忠実に命じて長府忌宮神社境内に祭っていた金刀比羅宮を当彦島福浦湾頭兜山(富観台)に遷座したもので、文政3年(1820)に神殿・拝殿が完成し遷座祭を行った。その後文政13年(1830)には、鳥居・玉垣・狛犬・灯籠等がそろい、遷座10周年の式年大祭を挙行した。
北前船入港の折、海上安全を祈祷させ、これが評判となり参拝者や寄港する船がふえて、福浦の港はたいへん繁盛した。
又、嘉永2年(1849)に海防調査を命じられた吉田松陰もこの石段を登っており、南陵小田圭(長府毛利藩の儒学者)が残した碑文も歴史をきざんでいる。以来、福浦町民並びに崇敬者は数度にわたり社殿の改修に力を合せ、その環境を護ってきた。今日では福浦を愛する心のよりどころとして金刀比羅神社は富観台に鎮座している。
境内由緒書き より。

参道入口

神額

参道

境内入口の狛犬。拡大写真はこちら。

(天保2年(1831)辛卯9月吉日建立)

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(昭和4年(1929)10月建立)

本殿


福浦稲荷神社

社殿