赤郷八幡宮

美祢市美東町赤3839 (令和元年7月24日)

東経131度20分27.31秒、北緯34度16分49.76秒に鎮座。

この神社は、秋吉台の北東6km程の辺り、美東町赤の街外れに鎮座しております。

御祭神 応神天皇・仲哀天皇・神功皇后
随 神 豊岩間戸命・櫛岩間戸命

由緒
奈良時代、称徳天皇己酉(神護景雲3年(769))のころ、現在御鎮座の山(長生山)の南面の大迫谷という所に不思議の端顕があり、朝廷よりの勅命を受け、豊前國宇佐八幡宮より勧請し創建したのが赤郷八幡宮の起源である。当時は中西国の惣社と崇められた。弘法大師が諸国巡行のおりに自刻の仏像を奉納したと伝えられ、現在安置されている二体の仏像がそれであると伝えられている。
修理・造営については最初は朝廷より勅命があったが、その後、源頼朝、梶原平蔵景時、また、長門の國の守護、佐々木四郎高綱も幕府の命を受けて造営したこともあった。それより北条、足利の御代相続き、厚東氏、大内氏のもとで、たびたび修理・造営がなされたが、戦国時代であったために兵火などにより焼失・大破のこともしばしばであった。毛利輝元時代の慶長元年(1596)には広壮な社殿が造営されたが、寛永2年(1626)野火のため焼失し当分の間は仮社殿であったが、時の領主毛利秀就は寛永19年(1642)火の用心として辰巳(東南)の方向の長生山の現在地に移し造営した。当時の棟札が現在保存されている。・・・・・
境内由緒書き より。

参道入口

鳥居

参道

境内

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(文化8年(1811)辛未3月17日建立)

拝殿

拝殿内部

本殿覆屋


天満宮

鐘楼