山形市諏訪町1-1-15(平成20年5月5日)
東経140度20分34.48秒、北緯38度14分30.24秒に鎮座。
この神社は山形駅から真っ直ぐ東に延びた16号線の、十日町信号から尚も500m程進むと左側に鎮座しています。道路には大きな鳥居が建ち、神門を潜ると広々とした境内正面に豪壮な拝殿、流麗な本殿が建っています。その右手には境内社の福禄寿稲荷神社、普賢神社等が祀られ、境内の周囲には色々な花々が咲き競っています。狛犬や狐さんも個性的も面白かったですよ。
御祭神:建御名方神
例祭日:9月27日
境内社:福禄寿稲荷神社、普賢神社
由緒:市内最古の神社といわれており、一般的には文明6年(1474)に最上家五代の斯波右京大夫義春公の時代に創建されたとされていますが、文明2年(1472)創建説もあるようです。
義春公の時代は室町幕府の戦乱時代で、武家社会も庶民の生活も疲れ切っていたのですが、山形城下を安定させるために、盛んに寺社が造られました。
社伝によると、「ある夜、義春公の枕元に白髪の老人がたち「われは諏訪神である。汝、信仰の心あらば南東の樹木ある所に祀りなさい」といって夢枕から消えました。義春公は直ちに長野の諏訪神社より分霊を勧請して起工に踏み切りました。すると俄かに空が曇って大雨となり、農民たちは大喜び、その年の最初の収穫は茄子であったので、人びとは感謝をこめて、信仰心をナスに託して毎年供えるようになったといいます。以来、おスワ様は農耕神として信仰され、龍神様も祀られました。それ以来山形南の人びとは干魃になると神社に集まり、雨乞いをし、龍山にのぼって祈ると必らず雨がもたらされ豊作になったといいます。」
現在も9月27日の例大祭には、茄子を5個持参してお供えして祈願し、その中から2個を持ち帰る習慣があるそうです。
明治12年9月郷社に列せられました。明治27年5月市南大火の際社殿が類焼し、以来二十餘年間仮殿に奉祀されていましたが、大正6年神苑を修め本殿を再建し社務所を新築しました。大正9年9月縣令を以て神饌幣帛料供進神社の指定を受けました。
社号標 | 神社入口 |
拝殿前、昭和7年生まれの狛犬 石駒さんの狛犬は、前回 米沢市中央・皇大神社で昭和7年作を一対、今回この社で昭和7年、山形市長町・熊野神社で昭和13年作と合計3対見てきました。始めは奇を衒ったようにやや装飾過多に感じましたが、だんだん落ち着いた感じに変化しているように見えます。 この狛犬は頭部が大きく身体は二頭身半か三頭身しかありませんが、面白いことに微妙に全体のバランスがとれています。耳は頭部に沿わせて立たせ、耳たぶに切り込みが入っています。やや尾下がりで、ゼンマイの上に炎が立つように薄く広く放射状に広がっています。阿は老成感を、吽は角つきで若さを感じました。 狛犬の拡大写真はこちらで |
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(石駒作 昭和7年(1932)建立) |
豪壮な拝殿 | |
拝殿内の様子 |
本殿 | 神社碑 「山形市諏訪町に鎮座せる諏訪神社は 文明年間城主斯波右京大夫義春公の草創にして庶民崇敬篤く 明治12年9月郷社に列せらる 明治27年5月市南大火の際社殿類焼以来二十餘年間仮殿に奉祀せしが 氏子相謀 大正6年工を起こし 神苑を修め本殿を再建し社務所を新築す…中略…大正9年9月縣令を以て神饌幣帛料を供進すべき神社の指定を受け 名実ともに全きを得たり 茲に事由を録して以て後世に伝う 大正10年3月27日祈年祭当日」 |
境内社:福禄寿稲荷神社 | |
福禄寿稲荷神社の年代不明、ブロンズ狐さん 縦置きで阿吽の位置が反対です。穏やかな顔つきですが、笑みが溢れるほど人面顔ですね〜。吽には宝珠が付けられ、雄雌の区別があります。 拡大写真はこちらで |
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境内社:普賢神社 | |
象頭山 | 太神宮、五聖山、蔵王山 |
神池の柵に絡まる白藤と隣接する諏訪幼稚園の柵に絡まる藤 |
境内に咲く紅白のハナミズキ | 社務所前に咲く芍薬と石楠花 |