與次郎稲荷神社

東根市四ツ家(平成20年6月20日)

東経140度23分10.07秒、北緯38度25分46.77秒に鎮座。

【狛見倶楽部 佐野支部 クマちゃん通信員より】
神社は、120号線を北上、JR奥羽本線・さくらんぼ東根駅を過ぎて間もなく、左側です。昭和37年の白狐が迎えてくれました。石造りの太い鳥居は、室町時代以前の建立と推定され、文化財に指定されており、「最上三鳥居」の一つです。

慶長七年(1602)常陸国藩主佐竹義宣は秋田の国に移され、お取りつぶしの難を逃れようと苦心をしていた。そこに昔、佐竹公から命びろいをしてもらったきつねが現れ、飛脚に身を変えて秋田と江戸を六日で往復。江戸幕府の情報を佐竹の殿様に伝え、お取りつぶしの難から逃れることが出来た。佐竹の殿様から寵愛をうけ命をかけて尽くした飛脚、その名は与次郎。
 何十回位往復しただろう ここ東根・六田宿には飛脚の泊まる間右ェ門宿があった。与次郎もたまには泊まったのだろう。しかし与次郎が飛脚をするようになると外の飛脚は要をなさなくなって、六田宿の客はめっきり少なくなり、その上一人娘のお花も与次郎と恋仲になって取られそうになる。間右ェ門困り果てる。そこで地内に住む与次郎の恋仇、谷蔵と暗殺を計る。江戸幕府では佐竹藩取りつぶしの策をいろいろ練るが、全部与次郎飛脚につつぬ けでうまく進まず、秋田に隠密をさし向ける。たまたま六田の間右ェ門宿に泊まり与次郎の話を耳にし、暗殺計画に加わる。きつねの好物「あぶらねずみ」で与次郎をおびき出し、谷蔵が与次郎を一撃で射止める。その後恋仲のお花は嘆き悲しみ、気が狂いどこへともいなくなってしまう。又、暗殺計画に加わったものは病にかかり苦しみ、六田の村に災いが起きる。そこで心ある六田の村人が村はづれの地に手あつく与次郎を葬り奉ったのが、ここ与次郎稲荷神社であると言う。
 現在では韋駄天飛脚与次郎はスポーツの神、与次郎とお花の縁結びの神、又商売の神として奉られ、毎年十月の体育の日に祭典がにぎやかに行なわれるようです。

秋田市千秋公園にも与次郎狐を祀った與次郎稲荷神社があります。

境内

拝殿

市文化財の鳥居

元々は、この近くに東向きに立っていたものを、神社境内に移したと言われています。

昭和37年の白狐

境内の石碑や末社