與次郎稲荷神社

秋田市千秋公園1−8(平成18年7月25日)

 この神社は久保田城跡・現千秋公園内に鎮座しています。惜しくも2005年(平成17年)に焼失した八幡秋田神社のお隣です。
 与次郎稲荷建立の伝説とは…「佐竹義宣公に仕えた老狐」
「 荒れ地や湿地が広がって住む人も少なかった窪田の神明山(現在の千秋公園)。常陸から秋田に国替えになり、この山に新しい城・久保田城を築いた佐竹義宣公の前に、一匹の大きな狐が現れました。狐は義宣公に、「私は、この神明山に住んでいた齢三百の狐の頭である。このたびの殿の築城により住む場所をなくし困っているので、殿のお力で住む場所を与えてほしい。もしもこの願いがかなえられるならば、必ず殿のお役にたちます」と願い出ました。狐をかわいそうに思った義宣公は、狐に城の茶園の近くの場所を与え、「茶園守の与次郎」と呼ぶことにしました。与次郎狐は、約束どおり義宣公のため、飛脚として秋田〜江戸をわずか六日で往復し、大いに働きました。しかし、与次郎狐の活躍により仕事をなくした飛脚たちの恨みをかい、羽州街道の六田村(山形県東根市)で罠にかかり殺されてしまいました。与次郎狐の無念の死を哀れみ、義宣公が祠をつくりその霊を祭ったのが、現在の千秋公園本丸に移された与次郎稲荷神社です。」(広報あきた参照)
 ところが与次郎が殺されたとされる山形にも与次郎の霊を祭った「与次郎稲荷神社」があり、秋田藩が参勤交代の折にたびたび参拝したとも伝えられています。現実にはあり得ない伝説でも、そこには何らかの歴史的事件が隠されているのかもしれません。

六田村(現在山形県東根市)に與次郎を祀った與次郎稲荷神社があります。今なお秋田県より参拝者多し・・・と書かれています。

神社入口
 昭和18年戦時中建立の狛犬です。顔も姿もゴリラ系ですね。
(石工・田口 春治  昭和18年9月吉日建立)
参道に並んだ、新旧取り混ぜ4対の神狐さん。
それぞれ時代の特徴がでているようです。
(昭和52年5月1日建立)
(昭和5年2月建立)
(昭和16年12月建立)
(万延2年(1861)2月建立)
社殿 社殿内の様子