丹生都比売神社

伊都郡かつらぎ町上天野(平成18年3月26日)

 この神社は、国道480号線から4号線に入り約4km、上天野地区に鎮座する式内社です。
 由緒の詳細は下記に転記してありますが、通称天野神社・天野四社明神・天野大社の名があり、全国に鎮座する88社の丹生神社、108社の丹生都比売を祀る神社、180社余の摂末社を数える丹生神社の総本社で、弘法大師が高野山開創と共に、地主神また高野一山の鎮守神・神仏融合はじまりの社として今日に至り、現在は世界文化遺産に登録されています。
 豊かな杜と広大な社地を持つ静かな神域に、朱塗の太鼓橋、大きく荘厳な楼門、その奥に並び聳える日本では最大の檜皮葺一間社春日造りの本殿4棟が雅な印象を与える素敵な神社でした。
 因みに丹生とは、古墳壁などから良く発見される魔よけの意味を持つとされる朱色の水銀朱(硫化水銀)のことです。古代から朱色は神聖視され、特に水銀は、金銀精製、金メッキの必需物質でもあり、とても貴重な産物でした。その丹生の産地は、ニフ・ニホの地名で各地に分布していますが、全国の丹生神社の半数以上が和歌山県一県、特に紀伊丹生川流域に集中しているそうです。(丹生の研究家、松田寿男氏の調査より)

ご由緒
 神社が創建されたのは古く、少なくとも今から1700年前のことと伝えられる。日本最古の祝詞のひとつである「丹生大明神告門」によれば、丹生都比売大神は天照大御神(あまてらすおおみかみ)の妹神で、紀ノ川流域の(かつらぎ町)三谷に降臨、紀州・大和を巡られ農耕を伝えられ、この天野の地に鎮座された。
 また、播磨の国風土記によれば、神功皇后の朝鮮出兵の折、丹生都比売大神の託宣により、衣服・武具・船をすべて朱色に塗ったところ戦勝することが出来たため、これに感謝し応神天皇が社殿と広大な神領を寄進されたとある。丹は朱砂を意味し、その鉱脈のあるところに「丹生」の名前がある。朱砂を精錬すると水銀となる。丹生都比売大神は、この地に本拠を置く日本全国の朱砂を採掘する古代の一族の祀る女神とされる。全国に丹生神社は88社、丹生都比売を祀る神社は108社、摂末社を入れると180社余を数え、その総本社である。
 御子の高野御子大神は、密教の根本道場の地を求めていた弘法大師空海の前に、白と黒の犬を連れた狩人に化身して現れ、神社へ案内しさらに空海を高野山へ導いたと今昔物語にある。すなわち、空海は1200年前、唐の国から新しい仏教を伝え、広く一般に布教するために、丹生都比売大神のご守護を受けて、神々の住む山を借受け、真言密教の総本山高野山を開いたのである。そして、古くからの日本人の心にある祖先を大切にし、自然の恵みに感謝する神道の精神が仏教に取り入れられ、当社と高野山において、神と仏が共存する日本人の宗教観が形成されていった。これが神仏融合のはじまりである。当社の周囲には、数多くの堂塔が建てられ、明治の神仏分離まで神と仏が相和して56人の神主と僧侶で守られてきた。
 また、高野山の大伽藍には弘法大師以来、現在に至るまで地主神として御社に当社のご祭神が祀られ、当社への僧侶の参拝も多く、神前での読教もたえない。
 高野山に参詣する表参道である町石道の中間にある二つ鳥居は、神社の境内の入口で、まず地主神である当社に参拝した後に高野山に登ることが慣習であった。
 現在の本殿のかたちは、今から800年前の鎌倉時代に、若宮に祀られる行勝上人により、気比神宮から大食比売大神、厳島神社から市杵島比売大神が勧請され、合わせて四殿となり、室町時代に火事により、復興されたものである。
 
社殿と文化財
 朱塗りに彫刻と彩色を施した壮麗な本殿は、一間社春日造では日本一の規模を誇り、楼門とともに重要文化財に指定されている。他に文化財としては、国宝の銀銅蛭巻太刀、重要文化財の木造狛犬四対、木造鍍金装神輿、金銅琵琶等多数ある。
 
主な祭礼
1月 1日 歳旦祭、1月第3日曜日 厄除祭・御田祭、2月17日 祈年祭、4月第3日曜日 花盛祭、6月30日 夏越の大祓、7月18日 神還祭、10月16日 例祭、11月23日 新嘗祭、12月31日 師走の大祓、毎月16日 月次祭

ご祭神
第1殿 丹生都比売大神(にうつひめのおおかみ)〔丹生明神〕
第2殿 高野御子大神(たかのみこのおおかみ)〔狩場明神〕
第3殿 大食都比売大神(おおげつひめのおおかみ)〔気比明神〕
第4殿 市杵島比売大神(いちきしまひめのおおかみ)〔厳島明神〕
若 宮 天野検校行勝上人(あまのけんぎょうぎょうしょうしょうにん)
                                (神社案内より転記)

境内前面に架かる朱の神橋は、杜の緑や神池の藍色に一段と映え、遠くで眺めていると映画のワンシーン見ているようでもあり、自分がその橋を渡ると神の息吹を身近に感じるような、そんな雰囲気を醸し出していました。
太鼓橋と言えば大阪住吉大社の反橋(そりばし)が有名ですが、淀殿の寄進。この輪橋も何と淀殿の寄進!旦那の秀吉はさほど信心深いとは思えないが、後ろ盾を失った彼女は色々と不安だったのでしょう。
手前の池は鏡池。中央の社殿に神鏡を納める故鏡池というらしい。伝説では、昔若狭国の八百比丘尼がこの神社に詣でたおり、水面に映る自分の姿をみて、八百歳にしてその美しさ若々しさを嘆き悲しみ、懐中にした鏡を取りだし、自分の水影に投げつけたと言われる池。八百比丘尼とは、若狭彦神社のある若狭の小浜の出身といわれ、人魚の肉を食べて不老不死になり、白い椿を持って諸国をめぐり、後に若狭の空印寺の岩屋で入定したとされる女性である。出雲にもほぼ同様の、八百比丘尼の伝説が伝わる「静の石屋」があります。探せば日本各地にあるのかも知れません。
神社入り口の朱の両部鳥居と神橋 神橋から眺める境内入口
平成5年に造られたばかりのブロンズ狛犬。神殿狛犬の姿形を継承しています。
非公開ですが、このモデルとなった木製の神殿狛犬はここに実在するようです。
(平成5年12月吉日建立)
永正9年(1512)落慶の楼門  拝殿
本殿、右から
第1殿 丹生都比売大神〔丹生明神〕  第2殿 高野御子大神〔狩場明神〕
第3殿 大食都比売大神〔気比明神〕  第4殿 市杵島比売大神〔厳島明神〕
若 宮 天野検校行勝上人
第1殿 丹生都比売大神〔丹生明神〕 第2殿 高野御子大神〔狩場明神〕
第3殿 大食都比売大神〔気比明神〕 第4殿 市杵島比売大神〔厳島明神〕
若宮 天野検校行勝上人
豊かな杜に包まれた静かで綺麗な境内の様子