姉倉比賣神社

富山市呉羽町小竹1813(平成21年8月18日)

東経137度10分13.1秒、北緯36度42分52.32秒に鎮座。

【神社情報・ナッキーさんより】
 この社は呉羽駅の南東約200mに鎮座しています。

 御祭神:姉倉比賣命、天照皇大神、大己貴命、建御名方主命
 祭礼日:春祭(獅子舞 )・4月18日、秋祭(源平太鼓町内練り)・9月9日、
 由緒:当社には、創建前史ともいうべき、うるわしい物語が伝えられている。太古、越中に姉倉比賣という姿かたちの美しい女神様がおいでになった。故あって、故郷の舟倉山から大竹野(今の呉羽町)の地へお移りになり、以後その土地の人々と力を合わせて、開拓を進められたのである。心やさしい比賣は、娘たちに機織りを教え、村人たちには仕事に精を出すように励まされたので、誰もお慕いするようになった。
ここは、いずこぞ大竹野よ 機を織りますわたくしは
  心もともに トンカラリ トンカラリ
 明るい歌声が村中にこだまし、比賣が機を織っていると蜆ヶ森の方から貝が蝶の姿になって飛んできて比賣の仕事を助けた。このようにして大竹野は次第に開けて豊な村になっていったのである

 当社は延喜式内社の一つで、越中の杜の中でも最も古い神社である。神社の創建の年代は明瞭ではないが、伝えによると第十一代垂仁天皇の御代、越中に阿彦の乱が起こり、大若子命が鎮圧においでになり、当社御祭神の霊夢を受けられ、陣所の四方に祠を建て天神地祇を祀り戦勝を祈願されたところ輝かしい勝利をおさめられた。
 天平9年(737)詔があって当社に仏像経典を納め、南方に(現在の源平山一体)一宇を建立し、神事に加わらせた。
 應永3年(1386)当社神官が京都へ上り、二條殿のお引立てにより大宮司の位を賜った。
 天文6年(1537)上杉謙信、越中最古の社と仰ぎ、翌天文七年当社に願書を奉納し、社領二百石を寄進した。
 寛文元年(1661)雷火のため社殿等すべて焼失。明治3年以降神殿、拝殿等順次再建して現在に至る。
 姉倉比賣の御神徳と婦負の郡名に因む古い由緒をもつ当社である。

 尚、この社は式内社 越中國婦負郡 姉倉比賣神社(論社2社。富山市呉羽町小竹1813・姉倉比賣神社、富山市(旧大沢野町)船倉2360・姉倉比賣神社)の論社となっています。

表参道入口 社号標と銅製の台輪鳥居
表参道の様子
境内入口
境内の様子
手水舎
拝殿前、明治33年生まれの狛犬
垂れ耳で鼻の大きな狛犬です。体表が滑らかで、草鞋を履いたような臑毛が特徴的です。品の良い整った感じがします。
(明治33年(1900)8月建立)
拝殿
拝殿内の様子
本殿三社殿
中央の本殿を護る木製狛犬
阿吽の位置が反対で、孤を描いたようなかなりな猫背です。かなり古い物のように見えますが、この狛犬には尾が無い様です。
噫忠碑
東参道の様子
東参道入口 社号標と台輪鳥居